これは約1年前 2020年9月20日、21日、22日の3日間ロードバイクで大洲へ旅した記録です

 

1日目

9月20日朝5時半、福山の家を出発して23キロ先の尾道フェリーターミナルに向かいます

尾道港7:10出航、7:49に生口島の瀬戸田港到着

料金は乗船料\1,300+自転車¥500です

 

瀬戸田港からは一目散に松山へ向かい14時ころには松山城に到着です

瀬戸田港から松山城まで約87km

 

松山城や雲の上ミュージアムなど訪れて15時には予約していた三番町ホテルにチェックイン

ここは各部屋に洗濯機が置かれているので1日汗を吸ったサイクルウエアを洗濯するにはありがたいホテルです

 

本日のロードバイクでの走行距離110km

今日はゆっくりと休んで明日、目的地の大洲へ向かいます

 

2日目

朝7時過ぎに松山市内のホテルを出発

松山から国道378号線を南下

途中、有名な下灘駅へ

海に一番近い駅と言われています。

海が間近に見えるようですが、駅が高台にあり下に国道が走っていて駅と海との距離は少しあります。

江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅のほうが距離的には海に近いですね。

 

しかし、景色は見ての通り抜群にいいです。

私が到着した時にはほとんど他の人がいなかったので、写真を撮る事ができましたが、だんだんと人が増えてきたので出発します。

 

国道378を南下して伊予長浜に来たら肱川に沿った県道24号線で大洲に向かいます

 

川面がきらきらしていて気持ちのいい道です

 

大洲に入って目的地の「臥竜山荘」

 

 

 

              大洲藩第3代藩主加藤泰恒が「蓬莱山が龍の臥す姿から『臥龍』と命名

             初めて庭園を築いたのは文禄年間、藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛の時代に遡ります

             その後、この地をこよなく愛した泰恒公は、吉野の桜、龍田の楓を移植し、庭に一層の              

             歴代藩主の遊賞地でしたが明治以降は補修されることもなく自然荒廃していました。

             風致を加え、現在の山荘は、明治時代に新谷出身の豪商で木蝋貿易に成功した

             河内寅次郎(常住地:神戸)が、老後の余生をここで過ごしたいと大洲随一の景勝地で                  

             あるこの地に明治30年頃から10余年をかけて築造した別荘です。

             寅次郎氏は、明治42年10月に亡くなりますのでここでの居住はごく短期間で

             ありました。               

             寅次郎氏亡き後、養子の陽一氏は一時、弟の上甲文友氏に管理を任せられました。

             その後昭和20年、戦災のため、陽一氏は大洲に引き揚げてこの地に常住しました。

 

            昭和31年9月30日、大洲市教育委員会はこの地を名勝地として大洲市の文化財に指             

            定しました。

            昭和53年3月20日に大洲市はこの地を陽一氏より譲り受けて保護管理することとなり、

            昭和55年春より大洲市の観光拠点として一般公開されるようになりました。 

            昭和60年2月、臥龍院、不老庵が愛媛県の有形文化財として指定を受けました。
            平成23年春、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンに一つ星掲載されることになり、

            外国語版パンフレットの作成など観光整備が進められています。
 

            以上 公式ホームページより

 

                        

 

                      不老庵  明治34年(1901)竣工
                      知止庵  明治34年(1901)竣工
                      臥龍院  明治40年(1907)竣工

                      施主 河内 寅次郎


                    施工
                      大工 中野寅雄(大洲)、草木国太郎(京都)
                      漆工 九代 中村宗哲(京都)
                      金工 九代 中川浄益(京都)
                      木彫 十三代 駒澤利斎(京都)
                      建具 大村藤三郎(神戸)
                      襖(表具) 八代 奥村吉兵衛
                      板戸 鈴木松年画

 

                    建築
                      襖絵 吉嗣拝山画
                      庭園 植徳(神戸)

 

              上記のように茶の湯の職人が関わっているのが大変興味深いものです。

              やはり明治に入り茶の湯文化もかなり衰退していた時期なのでこのような仕事もされ 

              ていたのでしょうね。        

           昼食をとったり、少し市内をぶらぶらして松山に帰ります

           

           この日走った距離130km

 

           かなり疲れました ホテルに帰ってゆっくりと休みます

 

3日目 朝7時過ぎにホテルを出発して家に向かいます

     まずは今治へ

     松山のホテルから今治港 42km

 

     12:20今治港出航フェリーに乗り、因島の土生港13:30到着

           乗船料¥1,780+自転車¥580

 

     土生港から向島の渡船場まで12km

     向島から尾道に渡り23km先の家に帰ってきました

     3日目の走行距離77km

 

     今回の旅 ロードバイクで走った距離317km(3日間)

            フェリー代¥4,160

            ホテル代 2泊朝食付¥5,510(GoToキャンペーン利用)

            他食事代等¥5,000くらい

 

     いつか時間ができたら八幡浜まで行ってフェリーにのって九州に渡ってみたいと思います