10月9日

尾道の浄土寺において「寺宝茶会」

限定80名の席に参加する事が出来ました

 

浄土寺は聖徳太子が建立されたと伝えられ、金堂、多宝塔は奈良朝そのままの建築で国宝に指定されています

 

本日のお茶会は

80名限定なのできっちりと組み分けをされていて、1組8名で薄茶、濃茶、点心を回ります

待つことが無いようにチケットにはそれぞれ時間が記入されています

     

    私は11時始まりの薄茶席から入るようになっていました

    「梅の間」にて表千家の薄茶席

    やはりというか男性は私1人

    当然、正客に追い立てられます^^

 

    鳳凰風炉には色鮮やかな鳳凰が描かれて、

    「梅の間」の四方の襖に描かれている水墨の山々の間を鳳凰が飛んでいるようです

    

    すぐ傍の釜から気持ちのいい「松風」が聞こえてきます

   

    

 

             そして薄茶をいただいた後は濃茶席へ  

             濃茶席は「露滴庵」

 

「露滴庵」はこの浄土寺の庭の丘に建っています

          

 

最初は伏見城内にあり秀吉が愛用していましたが、のちに本願寺に移され、

それから紀州家、さらに元紀州家の附家老であった浅野長晟がこの地へ封じられた時に拝領して、さらに尾道の向島の豪商である富島家(屋号・天満屋)に移り、1814年(文化十一年)に浄土寺に寄進されたそうです

 

          

                 古田織部好みの「燕庵」の写しの茶室

                 現存する最古のものです

        写真正面の萱葺の屋根の三角の所に「燕」の文字が書かれています

 

                  

         

 この図は福山のアズ建築設計事務所(茶室建築研究所)さんが「中国地方の茶室」として「露滴庵」を紹介されていたものを拝借

             

         上の写真はこの図の右側(東)から撮ったものです   

         右に三畳台目の茶室、その茶室の南側に一畳の鞘の間があります

         昔はここに相伴席として家来の方達が控えられていたのでしょうね 

 

           そしてその鞘の間からへの字に曲がって廊下へ出ると

             2間続きのお茶室があります

 

         今回はこちらの2間続きの茶室で裏千家流の濃茶をいただきました

    

 

        

               こちらは3畳台目の茶室

           

 

             下座床です

                                      右の奥が茶道口

         床の左の壁の外が相伴席

         

             小堀遠州筆による「露滴庵」の軸

 

            ここで秀吉や当時の武将達がお茶を飲んだと思うと

            何やら現実離れして不思議な気がします