先週の記事にしたように

息子氏や夫の事を心配する

必要がなかったためw

入院中は、ひたすら

横になって過ごしてました。


一番はじめに思い浮かんだのは

「もう、あんな痛い目をしなくていい」

呆れたり、軽蔑する人が

いてるかもしれませんが

それが、偽らざる思いです。



そして、ずーーっと

自分に言い聞かせるように

「しゃーない、しゃーない」

(大阪弁で「仕方ない」の意)

と、心の中でつぶやき続けていました。



起こってしまったことは

取り戻せるわけでもないし

誰が悪いわけでもありませんからね。



「ずーっと、お腹痛い、痛いって言ってて

かわいそうだったから良かった」

と、実母に言われ

母の前で、泣いたりって

しちゃいけないような気持ちになり



「胎盤も出来たのに、どうしてだったのかなぁ」

と、言ったきり

母とは流産の事を話しあっていません。



入院中の私は

とても落ち着いていました。

というか、ぼんやりしてた、というのかな。

悲しくもなければ、くやしくもない。



大きなショックを受けると

感情や思考が止まる事があります。

心理学では「離人感」といいます。



まるで他人事のような感覚。



自分の反応や感じたことも

「あ、これは悲嘆のプロセスの

○○というやつだな」

(キュブラー・ロスという学者の

 悲しみを受け入れるまでには

 5つの段階があるという、説)

なんて、分析したりしてました。

考える事を止める・

心を停止させる。

きっと、それが私の心が選んだ

自分を守る方法だったのでしょう。



商売柄の知識のお陰で

悲しみやショックが軽減する事は

けっしてありませんが

「こんな私、異常なの?!」

「だめだめ、こんな事考えては」なんて

自分で自分にダメだしして

さらに苦しくなる事がなかったのは

良かったといえるでしょう。



実は、かみわざ夫婦。

主に私の希望で

年齢的にも、体力的にも

2010年度中に

(2010年3月31日まで、ですね)

授からなければ

子供は息子氏一人で、と

申し合わせておりました。



まるで、その期限を守るかのように

期限前日の3月30日に

いなくなってしまったわたし達の娘。



これは、もううちには

赤ちゃんは来ない、という

意味なのでしょうか。


それも含め、すべて

しゃーない、しゃーない。。。