野菊の墓を訪れる | 三茶(さんさ)

三茶(さんさ)

だいずくんです

 

2014年11月12日

野菊の墓を訪れる

 

 

もう、65年以上前です
小学校の体育館で見た映画、
『野菊の如き君なりき』
監督:木下惠介、
出演:田中晋二、有田紀子
が、忘れられません
 
この話をかみさんにすると、
あなたは、その時から、
ずっと、 止まったまゝです
 

この作品の舞台となったのは、
千葉県松戸市矢切付近です
 
 
 
 
 

 
過去、何度か 野菊の墓を
京成電鉄 柴又駅から
JR東日本の武蔵野線が
乗り入れている、
東松戸駅から
または、
北総鉄道の北総線、
京成電鉄の成田空港線
一番近い矢切駅から歩いた
 
 
今回は、
京成電鉄 柴又駅から
江戸川を矢切の渡し船で
渡って
北総鉄道の北総線 
矢切駅から
帰ります
 
 
 
京成電鉄金町線
まるで都電に乗っている
ようだ
のどかでいいね
 
寅さんのお店がある
帝釈天参道商店街

 

この辺りで

いつもは、

うなぎの串焼きで

一杯していた

 

 

柴又帝釈天

 

二天門

 

 

帝釈堂

 

 

大鐘楼

 

映画「男はつらいよ」

のシーンに

 

ここで、鐘を突いて

ゴーンと音が

 

 

 

 

昔は

江戸川でうなぎがとれた

 

 

 

江戸川河川敷

 

 

この土手で

寅さん寝転んで

草野球を眺めていた

 

 

 

 

 水原秋桜子の句碑

 

春の句で 

「葛飾や桃の籬も水田べり」

大正末期の葛飾の田園地帯を詠んだ句で
籬(まがき)とは、当時多かった柴や竹などで

目を粗く編んで作った垣のことです
朝顔などが絡んで咲いていることも多い
葛飾は現在で言えば、

千葉県側の市川や松戸も

含んでいる地域です

 

 

 

 

 

向う岸

矢切の渡しが見える

 
 
 
昔は、手漕ぎ舟
今は、モーターボートです
 
一人 乗りました
 
 
江戸川
 
渡し船に一人、
貸し切りでゆったりと

 

今日は、
矢切の渡しの船の
若いおにいさん、
サービスで迂回して
いただきました
ちょっともやがあり、
周りの農地の景色、
水かさの多さに思わず
中国の大河を渡っているかと

 

 

 

 
 
 
 
松戸側に着きました
船を降りて、
農道を歩きます
 
 
 
散策コースになっています
 
土手の菊が迎えてくれます
 
 
まっすぐ、農道を歩きます
 
 
 
途中で、
 
 
作品「野菊の墓」より
 
・・・
僕の家というのは、
松戸から二里ばかり下って、
矢切やぎりの渡わたしを
東へ渡り、
小高い岡の上でやはり
矢切村と云ってる所。
矢切の斎藤と云えば、
この界隈かいわいでの旧家で、
里見の崩れが二三人
ここへ落ちて百姓になった
内の一人が斎藤と云ったのだと
祖父から聞いて居る。
・・・
 
 
民子は一町ほど先へ
行ってから、
気がついて振り返るや否や、
あれッと叫んで駆け戻って
きた。
「民さんはそんなに戻って
きないッたって
僕が行くものを……」
「まア政夫さんは
何をしていたの。
私びッくりして……
まア綺麗な野菊、政夫さん、
私に半分おくれッたら、
私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。
民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。
野菊の花を見ると
身振いの出るほどこのもしいの。
どうしてこんなかと、
自分でも思う位」
「民さんはそんなに
野菊が好き……
道理でどうやら民さんは
野菊のような人だ」
 民子は分けてやった
半分の野菊を
顔に押しあてて嬉しがった。
二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様
だってどうしてですか」
「さアどうしてという
ことはないけど、
民さんは何がなし
野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは
野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」
 
・・・

政夫は東京の学校へ

寮に入る前日、

政夫は民子に自分の想いをつづった

一通の手紙を渡します

自分がいなくなってから読んでほしいと告げ、

東京へ旅立ちました

その後、民子は自分の家へ戻され、

強いられて結婚をさせられることとなります

民子は流産が原因で、ひん死の身となり
家に戻されて、命を落としました
 
 
夜が明けてから、
枕を直させます時、
あれの母が見つけました、
民子は左の手に 
紅絹(もみ) の切れに
包んだ
小さな物を握って
その手を胸へ乗せて
いるのです。
・・・皆の居る中で
あけました。
それが政さん、
あなたの写真と
あなたのお手紙で
ありまして……」
・・・
 
 
いつも
ここで
泣けます
 
 
今、読んでいる
塩野七生「男たちへ」
男が人前泣くのは、
別れたいと告げた女に対し
ハラハラと涙を流して
留まって
ほしいと願う男の
涙である
 
 
 
 
朝露に白く野菊が人恋し
 
 
野菊は、白い花が好きです
 
 
 
しばらく歩くと、
西蓮寺が見えてきた
 
階段を上がると
 
 
伊藤左千夫の小説
「野菊の墓」の
一節を刻んだ文学碑が
ありました
 
伊藤左千夫の門人である
土屋文明の筆になる
 
 
 
 
 
 野菊がけなげに
咲いていました
 
 
 
 
 
野菊苑展望台からの展望 
 
 
隣接している野菊苑展望台
からの見晴らしは素晴らしく、
矢切耕地、江戸川の流れ、
遠方には東京の街並みが
見渡せます
 
 
松戸市観光案内より
 
江戸時代の初期に、
江戸川の両側に田を持つ
農民が、
関所を通らずに江戸と
往来したことから、
この「矢切の渡し」が
始まりました。
江戸川唯一の渡しであり、
伊藤左千夫の小説
「野菊の墓」で
政夫と民子の
悲しい恋の舞台にも
なりました。
また、ヒットをした
同名の歌謡曲の舞台でも
あります。
 
江戸川の水が春とともに
暖かさを増す時期になると、
船頭さんの手漕ぎの舟が、
およそ150mの江戸川を
毎日往復してくれます。
矢切と対岸の柴又を
結ぶ情緒たっぷりの
木製の渡し舟は、
訪れる人々の気持ちを
のどかにさせてくれます。
川面を渡る手漕ぎの舟や、
ヒバリ、ユリカモメの
声などは、
この度柴又帝釈天と
ペアで”残したい
日本の音風景100選”に
選ばれました。
 

 
 
 
帰ります
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北総鉄道 矢切駅
 
 
 
 
 
ここからの観光案内
ルートです
 
 
お疲れ様でした