─私と弥山川─

 

 弥山川は、川迫川最大の支流で、近畿最高峰・八経ヶ岳を源に発する大峰・きっての険谷である。私と弥山川との出会いは、2000年に山登りを始めてまだ間もない頃、山登りの指標としてきた『ヤマケイ・アルペンガイド』や『山と高原地図』を通して知ったと思われる。

 2000年の秋に大峰奥駈け、2001年GWに台高縦走を果たし、その翌月の6月4日に狼平泊で弥山川コースを計画したのだが、一ノ滝を目の前にして敗退している。それまでに北アルプス縦走なども単独でこなしてきたが、渡渉やへつりなどこれまで経験したことない登山(つまり沢登り)で、面食らってしまい、一ノ滝を目にして引き返してしまった。

 その3日後、沢靴を用意し、泊りから日帰りの軽装で挑み、リベンジを果たした。敗退した時は、渡渉や杭の打たれたへつりの箇所で足が竦んだのだが、沢靴を履いて水の中に入ってしまえば何ということがないということが分かった。今まではいかに水に浸からないか?ということに苦心した登山しかしてこなかったから、目から鱗の経験だった。それで沢登りの魅力に目覚めたようで、さっそく6月25日には滝畑の上山谷に赴いている。しかし、怖くて全く滝が登れず、ずっと巻き続けたのを覚えている。

 クライミング技術の必要性を痛感し、6月30日に、烏帽子岩で開催された講習会に参加。恐らく、“タイムトンネル1O.A”と思われるが、全く歯が立たなかった。今まで単独で山登りをしてきたが、沢登りやクライミングは単独では厳しいと感じ、“避難小屋”という登山サークルに入会したのだった。そこで基本的な技術を色々と教えてもらった。コージと出会ったのも、“避難小屋”だった。コージとの最初の山行は、2001年11月17~18日、だいちゃんと3人で弥山川探索。双門ノ滝頭で幕営したことが懐かしい。

 このような訳で、弥山川は私にとって沢登りの原点となる場所だった。“避難小屋”のメンバーであり、私たちの恩師であるドラさんやH矢さんが弥山川ゴルジュに挑んだことを畏敬の眼差しで眺めたのを覚えている。弥山川ゴルジュ突破の記録は当時は、初登の泉州山岳会のものしか見当たらなかった。2003年12月に晴れてわらじへの入会を果たすが、それから随分年月が経ってから、私たちも弥山川に挑むことになった。それだけ畏敬の渓谷だった。

 2008年7月26日にようやく弥山川ゴルジュ(一ノ滝~双門ノ滝前)2013年7月27~28日に双門ノ門滝登攀~狼平までの溯行をし、弥山川完全溯行を果たした。以来、弥山川に関してはすべての課題を成し遂げたと思い、この界隈には全く目を向けることがなかった。しかし、それは大きな勘違いで、今年2024年5月に、紀伊半島彷徨いクラブのメンバーらによって、裏双門~巌双門ルンゼが初登されたのだった。

 

 

 

奥に双門ノ滝(2008年溯行時)

 

 

双門ノ滝登攀(2013年)