父は7月14日の午後0時21分に息を引き取った。入院してから5日目のことだった。17日に告別式を行い、19日まで忌引き休暇をもらった。18~19日で、南紀の谷に行くことにした。
まず、初日は熊野川左岸の谷に掛る大滝登攀。この大滝は、紀伊半島大水害で突如現れた大滝で、“小鹿の滝”と、仮称されている。
私も前から登れそうだなとは思っていたが、何だがそそられなかった。知人からその大滝の話が出て、「先に登ってもいいですか?」と、聞かれたので「全然、かまへんよ」と答えた。昨年、4月に彼らが初登したと思いきや、前日に成瀬&松原パーティによって登られていたというオチ。関東の強いパーティによっても再登されている値打ちある大滝。
小鹿の滝。
橋げた脇に駐車し、橋からまずは遠望する。私は父の死の傷心が深く、気分は向かなかったが、コージに引っ張られてここに来た。下部は水流右側のスラブ、傾斜の強くなる中段部はそのまま右側を登るのか?渡って左側を登るのか?は、ここからでは分からなかった。見ると、懸垂下降でなしに、トラバースで滝の裾野に降りられそうだということで、そうすることにする。
全くヤル気のない私は、全ピッチをコージにリードを委ねる。乾いた岩肌はフリクション抜群で、スタスタと右側を登る。傾斜が強まったところで、ハーケンを決め、コージは「どっちやろ?」と聞くので、そのまま右側でないかと答える。しかし、登り始めて、「めっちゃ悪い」とクライムダウンしてきた。
じゃあ、左側だろうということで、水流渡って、左側のスラブを登って行き、立ってきたところで、左側のシャワーを登る。乾いた岩肌とは一変し、濡れたところは滑って滑る。コージは丹念にハーケンを決め、タワシで掃除しながら高度を上げる。そうして、核心部はランナウトし、際どいムーブで突破。ビレイしていて、便意を催してくるほどだ。フォローでは何とか登れたが、リードでオンサイトはとてもできない。右上し、左岸のテラスでピッチを切った。
2ピッチ目。
2ピッチ目は、左岸の階段状を垂壁に阻まれるまで直上する。確かFBに寄ると、ここでクラックをネイリングのはずだった。しかし、コージはそのクラックを見上げた後、何を思ったのか、クライムダウンし、水流へとトラバースした。しかし、この時、コージはクラック下で取った支点を回収しずにクライムダウンした為に、フォローがその支点を残置してしまう事態になってしまった。
水線はもこもこ岩が張り出していて弱点見えるが、頭への数メートルが分からなかった。ドシャワー浴びて、直下に立ち粘っていたが、コージはバンドをトラバースし、水流から離れ、右側のカンテを登って頭に出た。フォローで登って見ると、引き返したラインに残した支点から次の支点は、水流へトラバースした下方にあり、回収した後、落ちたらテラスへと叩きつけられる。リーチギリギリで掴んだスリングだったので、回収してしまったら、クライムダウンすることができない。仕方なく、残置することになった。
さて、水流に突っ込み、モコモコした岩場も以外に悪く、アブミで直下に立つ。シャワーを食らいながら見上げると、リスが頭へと続いており、ハーケン決められそうだ。「折角ここまで来たんだから何で登らんかった?」と思う。「シャワーがキツイ」とか、「次の山行があるから」と、頭でコージは納得いかない言い訳をしていた。後で確認すると、松原さんらはやはりあそこを攻めてたようだ。初登者の心意気というものだろう。
下降は左岸を高巻くが、テープあり、それを追っていくと、上手い具合にネットが切れたところに降りることができた。
惜しくも知人は初登を逃したようだが、松原さんも