移動性高気圧が張り出した好機を逃さず捕え、黒部・柳又谷源流溯行は計画通りに達成することができた。源頭から下り、クラガリ峡の出口に立つという、今回のルートは私たちの柳又谷に決着をつける方法だったが、確実な下山(生きて帰れること)を担保する一方、全力で柳又谷に向かわなかったという思いが残った。

 柳又谷源流溯行は、それはそれで素晴らしかったが、帰阪の車中でも、達成感というより、判然としない思いの方が強く、これでいいのか?と、自問自答していた。職場からもらった休みも後、2週間。地元の谷で、余生を楽しむ溯行で終わってもいいのか?本当にそれでいいのか?時間が経過するにつれ、悔いとなりつつあった。

 14日帰宅し、天気予報を見ると、柳又谷溯行を約束してくれた移動性高気圧は日本にまだ張り出し、週末まで晴れ間をもたらしてくれるとのこと。(北よりに高気圧があっため、関東や紀伊半島はぐずついたが、北日本の天気は幸いなことに晴れ間だった。)称名滝ライブカメラを見ると、柳又谷に向けて出発した10日以来降雨がなく、称名滝はかつてない程、減水していた。きっと今年一番の減水だろう。南からの温かい空気が日本に入り、例年より気温の高い日が週末まで続く。称名滝トライする、今年の最大にして、最後のチャンスだった。

 それとなくライブカメラの映像を見せると、コージはすっかりヤル気になり、ギアを出して準備を始めた。スイッチが入れば迷いのないコージだが、行くと決まると、却って色んな不安が去来し、マイナス志向になってしまう私。極端に寒さに弱い私が果たして耐えられるだろうか?コージがグランドフォールしてしまわないだろうか?途中で、雨が降ったりしないだろうか?はたまた、観光客に通報され登攀を制止されないだろうか?…様々な不安が波のように打ち寄せた・・・いや、今、勝負しないと、一生後悔することになるという思いが、今回だけ何故か、最後には勝った。

 

 

地元の方から頂いた写真。拡大すると私たちが写っている。
 
 前日の15日は昼過ぎまでに仕事を終え、コージは帰宅。待っている間、私は山行準備の傍ら、幾度となく各社の天気予報をチェックした。本当に弱気なもので、すがれる情報がないものかと色々検索していたが、その中で中嶋徹さんがフリーソロで称名滝に挑んだ動画があり、その心の過程に強い感銘を受け、称名滝に向う勇気をもらった。(勇気をもらうなんて、今までウソ臭い言葉だと思っていたが、この時ほど実感したことはない)。また、何にトライするかは話してなかったが、クライマーのK中さんからも応援のメッセージを頂き、とても励まされ、この勝負から逃げてはならない、と決意した。
 
 

 

 

 

 
 16時に自宅を出発し、通い慣れた北陸道で立山に向う。立山駅の駐車場でささやかな酒宴の後、仮眠を取ったが、早々と目が覚め、緊張からか何度もトイレに行った。軽い朝食の後、6時過ぎにゲートに向かう。
いつもは緊張で何も口に入らなくなるのだが、目が覚めると空腹感に襲われたのだった。