昨年、往古川真砂谷・八丁滝が大崩壊し、全く姿を変えてしまった。その変貌ぶりは、往古橋からも見ることができる。私たちも、昨年、鬼丸谷を溯行した時にその変貌を目の当たりにした。

 八丁滝大崩壊から一年が経ち、その変貌を滝下から眺めて見たいと思った。真砂谷は以前溯行済み。下部の連滝帯を回避する最短ルートががないか?と、地形図を眺めていたら、中尾から山腹をトラバースしていけるのではないか?と、思った。 所謂、“樋ヶ谷中尾”である。

 樋ケ谷とは、往古川の上流部を指す。中尾とは、つまり、小木森谷と真砂谷の分水尾根を指す。別名、八丁尾根とも言う。

 八丁尾根は、一説では“坊主揚げ”の道ともされており、石垣や境界標石の見られる、古からよく踏まれた道だった。私たちは以前、八丁尾根を冬場に歩いたことがあり、また、八丁滝登攀時にもアプローチに利用しており、周知のルートだった。




 4月18日は、湿った空気の流入で、南部は降雨の予想。前夜発し海山町に向かうが、すでにミスト状の雨が降っていた。道の駅で仮眠取り、朝起きても変わらずの天気だった。ヘヤピンカーブ地点まで海山大台線を車まで乗り入れた。大した雨にはならないだろうと踏んで出発。



真砂谷出合。

 ガレ場を下り、往古川に降り立つ。降り立つと、対岸にちょうど真砂谷が入り、渡渉し真砂谷左岸の山腹に取り付く。すぐにマーキングを発見。今もこの道を辿るマニアがいるようだ。
 最初はつづら折れに山腹を登って行く。石積みが見られるので、忠実に古の道を辿っているようだ。尾根に登り出たところで、コルとなり最初の境界杭を見る。以後、この尾根上には境界杭が続く。


八丁尾根を行く。

 辺りはブナと照葉樹が混在した森で、あちこちで小鳥が囀る。目的の標高まで高度を上げたところで、八丁尾根と別れを告げ、東へ山腹をトラバースする。同じ標高を維持しながら、幾つかの尾根と小沢を横断し、目的の沢を下降。この沢はゴーロだけで、両岸には植林が見られた。もしかしたら、以前は道が通じていたのかもしれない。炭焼き窯跡も見られた。下るに従い、植林に混じって巨大な杉があちこちに見られた。


沢を下り真砂谷へ。
 
 真砂谷に降り立つと、仁王のような巨杉が、この沢の両岸に佇んでいた。数メートルはあろうかという幹周り、どしっと大地に踏ん張り、筋肉隆々の枝々をうねるように伸ばしていた。また、沢中にも大岩を噛むように伸びる巨杉が見られた。不遇の谷に、森の番人たちが神域を守っていた。
 ここからは谷中を進むが、巨岩帯となりボルダリングの登高で進むが、度々、行手を阻まれ、両岸に逃れた。


森の番人。

いよいよ八丁滝を遠望できそうだ、というところでガスが立ち込める。両岸の山々はたちまち霧に包まれ、谷間を白い空間に閉じ込められた…とすると、不意に霧の中から斜瀑が姿を現す。左岸側には巨大なCSが覆い被さるように掛かり、一方右岸は側壁がひどく抉られていた。大崩壊による爪痕だろう。前衛滝自身もその姿を変えているようだった。


姿を変えた前衛滝。


 ここは前衛滝を直登するべくフリーで、取り付く。爪痕により、突破が以前より容易になったようだ。しかし、前衛滝超えてからが、むしろ困難になった。大崩壊による土砂や巨岩の体積で谷間を進めず、次々と崩れて行く斜面を際どく登って右岸の尾根に逃れた。
 尾根に立つとそこから八丁滝を見ることができた。もはや八丁滝とは言えない、以前とはあまりにも姿を変えた姿。特徴だった左岸の大ハング帯はごっそり崩落、右岸の崩壊はさらに甚だしく、滝より遥か上部から雪崩の跡のようなスラブ壁を曝していた。曝された岩盤もまだまだ亀裂を複数有しており、この先も崩壊を進めて行くようだった。


崩壊後の八丁滝。

 しばし尾根の上から八丁滝を眺める。ガスに曇る風景が余計その惨状を誇張するように見えた。八丁滝はこの先、消えてしまうのかもしれない、そう思った。
 下山は谷に戻らずこの尾根を下る。右岸枝谷出合まで伸びており、往路も谷間でなく、こちらを辿れば容易だっただろう。枝谷出合で谷に復帰し、少しばかり下れば巨杉たちが佇む神域へ。ここからは、来た道を引き返すばかりだった。
 大崩壊し、全くその姿を変えた八丁滝。最後の登攀者は私たちだったのかもしれない。そして、昨年、八丁滝登攀にトライしようとした仲間は崩壊の前兆の中、最後の目撃者だった。