江戸時代から関西方面から誕生寺という法然和尚の生誕地を訪ねる誕生時参りが盛んでその痕跡がこの山間の郷に残されているという事で自身の毎日の散策地を兼ねて訪問しています。この二日の日は美作市位田地区の石塔と美咲町行信地区の神社と道標を訪ねて歩きました。もちろん現場近くまではナビを使って近くまで車で行き周辺を歩くというパターンです。

 まず美作市湯郷温泉を南に吉野川沿いに歩くと位田地区に出ます。さらに南下していくと最終的には吉井川との合流地点美咲町(旧柵原町)飯岡地区に出ます。またこの位田地区から西に進むと百々(どど)地区に出るんですがその分かれ道のT字路の交差点近くにこの石碑群が立っています。説明版等がないので何を記念して建てられたかは不明です。文字が刻印されていますがそれもほとんど読めなくて明治27年、明治32年などの文字がかすかにわかるのでたぶん日清戦争の戦没者慰霊碑のようです。このような碑は通常はお寺や神社の一角に建てられていますが、近くにお寺がありますがこういう立派な碑を建てる場所がなかったのではないかと推察されます。

 この石碑の向こう側に見えるのが大山展望台がある大山(おおやま)です。

 

 

 

 

 

 

 続いて訪問したのがグーグルのマップ上には写真付きで掲載されている『行信の道標』です。マップ上には印があるんですがその道標らしきものは見つけることはできませんでした。ただしこの地域は確かに誕生時へ行く道沿いであることは地形的にも確かな気がするので何かの史実には記載されていたのだと思います。

 

 

 

こちらが検索して出てきた画面です。

 

 近くにアオサギが1羽、あまりこちらを気にしていない様子でした。この子の先祖はここにあった道標の行方を知っているかもしれませんね。

 

 

 さらに地図上の神社などを探すと和気大宮神社などが出てくるので昔から交通が盛んな場所でもあったようです。この行信の道標近くには猿女神社という名前もあったので訪ねてみました。こちらも説明書きのようなものはなく小さな祠があるだけでした。