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2024年7月3日、日本銀行券のF千円券、F五千円券、F一万円券が発行開始となりました。

鉄道趣味の視点として言えば、やはりF一万円券の渋沢栄一翁と東京駅丸の内駅舎が注目すべき点でしょう。また私は埼玉県民でありますから、そういう意味でも今回は非常に大きなものとなっています。



茨城県の正栄デリシィでは、クランチチョコレートと縮小した紙幣「子供銀行券」をセットした「お金のチョコ」を製造しています。

私もF号券が最初に発表された2019年に集め始め、2021年に全20種類をコンプリートしました。

2024年の新紙幣発行に合わせ、3種類+F一万円券のキラキラ仕様が追加されました。


実物の形式順に見ていきます。



い拾圓券 1943〜1946

和気清麻呂/護王神社


戦時下において、丙号券の簡易型として登場しました。1946年の新円切替にて失効しています。


和気清麻呂は1890年の改造拾圓券、1899年の甲号券、1915年の乙号券、1930年の丙号券、1943年のい号券、1945年のろ号券に採用されていました。

鉄道唱歌山陽九州編の35番では、和気清麻呂と宇佐神宮について唄われています。




A号壹圓券 1946〜1957

二宮尊徳


戦後の新円切替に合わせ登場しました。大量投入に迫られたため民間印刷会社でも製造されました。

1955年に一円アルミニウム貨が臨時補助貨幣として登場したため、そのまま置き換えとなりました。




A号五圓券 1946

(彩紋)


戦後の新円切替に合わせ登場しました。大量投入に迫られたため民間印刷会社でも製造されました。

1948年に初代五円黄銅貨が臨時補助貨幣として登場したため、そのまま置き換えとなりました。



A号拾圓券 1946〜1954

国会議事堂


戦後の新円切替に合わせ登場しました。大量投入に迫られたため民間印刷会社でも製造されました。

1953年に十円青銅貨が臨時補助貨幣として登場したため、そのまま置き換えとなりました。



B号五拾円券 1951〜1955

高橋是清/日銀本館


戦後、物価上昇により拾圓券の需要が高まったものの、次の紙幣が百圓券のためその間を作ることになりました。それが五拾円券です。歴代唯一の「五十円札」でした。

1955年に初代五十円ニッケル貨が臨時補助貨幣として登場したため、そのまま置き換えとなりました。


(昭和恐慌の1927年にも甲号五拾圓券が製造されたものの、実際に発行には至っていません。JR北海道のキハ285みたいな存在です。)



B号百円券 1952〜1972

板垣退助/国会議事堂


終戦直後に発行されたA号券の置き換えとして登場しました。

1957年に初代百円銀貨が臨時補助貨幣として登場したため、そのまま置き換えとなりました。



B号五百円券 1951〜1969

岩倉具視/富士山


1950年に初の百円以上となる千円券が登場したものの、それ以下の額の百圓券の需要は高いものでした。そこでその間を埋めるべく、1951年に五百円券が登場しました。


岩倉具視といえばご存知岩倉使節団の長であり、鉄道では東京と青森を結ぶ日本鉄道に関わりました。台東区上野の岩倉高等学校の名の由来でもあります。



B号千円券 1949〜1963

聖徳太子/法隆寺


戦後、物価上昇により3年ぶりに復活した千円券です。B号券の中では一番早い登場でした。凹版印刷が戦後初めて採用されています。

1961〜63年頃に、「チ-37号事件」という偽札での戦後最大の未解決事件が発生しています。1970年の大阪万博でのタイムカプセルにはこの偽札が収められています。



C号五百円券 1969〜1985

岩倉具視/富士山


B号券のイメージをもとに、他のC号券で採用された偽造防止技術を活用しています。

1982年に初代五百円白銅貨が臨時補助貨幣として登場しましたが、1985年までどちらも製造されていました。



C号千円券 1963〜1984

伊藤博文/日銀本館


B号券の偽札事件を受け、1960年代での最大級の技術をもって作られたのがC号券です。

肖像は聖徳太子、渋沢栄一、伊藤博文の三人が候補で、髭を蓄えた伊藤博文が採用されました。立派な髭があった方が偽造防止になるんだそう。なお渋沢栄一デザインについては、東京都北区王子の「お札と切手の博物館」で見ることができます。

もしここに渋沢栄一が採用されたら、2024年のF号一万円券は誰になったのでしょうね。



C号五千円券 1957〜1983

聖徳太子/日銀本館


千円券より高額な初の紙幣として登場しました。B千円券やC一万円券も聖徳太子のため、紙面の配置を変えています。

日銀本館は3回目の採用ですが、今回は増築が反映されています。



C号壱万円券 1956〜1983

聖徳太子/鳳凰


かつてB号券にて検討されたものの発行されなかった一万円券が、C号券で登場しました。製造は五千円券より先なものの、段階的に発行するということで後から発行されました。

聖徳太子が採用されたため、「全部の紙幣が聖徳太子」と勘違いされた方も多いはず。



D号千円券 1983〜2003

夏目漱石/タンチョウ


精巧さを一番に作られたC号券も、20年経てば陳腐化し偽札も出回ります。D号券は戦後初の一斉発行として、五千円券、一万円券と同時に登場しました。

今回は初めて文化人を採用しており、千円券は小説家の夏目漱石です。

テツ的な視点で言えば、漱石の作品である「坊っちゃん」では明治の伊豫鐵道が登場しています。また、伊予鉄道の明治風復元車は「坊っちゃん列車」の愛称があります。

また漱石の門下生である「阿房列車」の内田百閒は、「目の中に汽車を入れて走らせても痛くない」だそうです。



D号五千円券 1983〜2003

新渡戸稲造/富士山


上述の一斉発行により登場しました。

新渡戸稲造は首を傾げる癖があったようで、紙幣の肖像では修正されています。要するにコラ画像です。

なお女性を採用する案もあり、後にE号券に採用される樋口一葉も候補として挙がっていました。



D号壱万円券 1983〜2003

福沢諭吉/キジ


上述の一斉発行により登場しました。

D号券は製造中に製造側の組織変更が2度あり、大蔵省、財務省、国立印刷局の3種類が存在します。

2004年のD号券末期には偽札が発見されています。


D号券では五万円券、拾万円券という高額券も検討されたものの、未発行です。五万円券は野口英世、拾万円券は聖徳太子の予定で、野口英世は後にE号千円券に採用されました。




D号弐千円券 2000〜2003

守礼門/源氏物語絵巻


2000年7月に沖縄県名護市で開催された第26回主要国首脳会議、また2000年のミレニアムをきっかけに製造されました。経緯から記念紙幣と間違われることがあります。

D号券で初登場、E号券•F号券では2024年現在設定はありません。

本州ではこれに対応しない機械が見られることなどから、あまり普及していません。日銀には未発行紙幣が大量にあるようです。これを読んでいる方の中にも、使わずに持っているという方がいるはず。

しかし沖縄では今日でも積極的に利用されており、土産としても人気があります。


2019年の首里城火災では、守礼門は離れていたため焼失を免れました。2020年より沖縄県内6銀行により、二千円札の流通額に応じての再建への寄付金制度を実施しています。




E号千円券 2004〜2022

野口英世/富士山と桜


2000年代に入ると様々な技術の向上や高性能化により、またも偽札が増えてきました。

そのため2004年に再び千円札、五千円札、一万円札の一斉発行が行われました。D号弐千円券の技術が使用されています。

前述の通り、D号五万円券で候補となった野口英世が採用されました。裏面の富士山はD号五千円券でも採用のものから、赤松の代わりに桜を描いたものとなっています。


野口英世は福島県、現在の猪苗代町出身で、渋沢栄一も関わった岩越鉄道を利用したそうです。

会津鉄道では野口英世のラッピング車両が4両存在しました。AT-501とAT-551は母親の野口シカが英世に宛てた手紙を、AT-502とAT-552は二人の写真のラッピングでした。2004年に全車が登場し、前者は2011年、後者は2014年に別の塗装に変更されています。




E号五千円券 2004〜2022

樋口一葉/燕子花図


上述の一斉発行により登場しました。

日本銀行券では初の女性肖像となりました。前述の通り、D号五千円券での不採用からの復活となります。なお肖像の原版彫刻が遅れ、発行が3ヶ月延期されています。




(ホログラム 旧レア)

E号壱万円券 2004〜2022

福沢諭吉/平等院鳳凰堂鳳凰


上述の一斉発行により登場しました。

準備期間が短く、再度福沢諭吉の採用となりました。若干原版を手直しし使用しています。

約40年間も一万円札の顔として福沢諭吉が採用されたため、この紙幣を「諭吉」と表現することがあります。また「野口」「樋口」「福沢諭吉」と韻が踏めます。




F号千円券 2024〜

北里柴三郎/神奈川沖浪裏


2020年代の最大級の印刷技術を持って、偽札に立ち向かうべく製造されたのがF号券です。

2019年に発表、2021年より製造開始、2024年より発行と、余裕のあるペースを取っています。E号券での準備期間の短さを反省としています。

見る角度により顔が回転するホログラムは、偽札の追従を許しません。


北里柴三郎は福沢諭吉の協力を得て北里研究所を創立しました。研究員には野口英世が在籍しました。

D号五千円券の新渡戸稲造と見間違えたというつぶやきをちらほら見かけます




F号五千円券 2024〜

津田梅子/藤


2024年の一斉発行にて登場しました。

B•C号五百円券での岩倉具視以来、左右反転された肖像を使用しています。

津田梅子は岩倉具視、伊藤博文などの岩倉使節団と共に渡米した人物です。後に新渡戸稲造などの協力を得て、津田塾を設立しました。




(レアカード未入手)

F号壱万円券 2024〜

渋沢栄一/東京駅丸の内駅舎


2024年の一斉発行にて登場しました。

C号券では伊藤博文と比べて髭の無さにより、偽造難易度が多少低いとして不採用となりました。今回もやはり髭は弱いですが、ホログラム技術など偽造防止策により補われています。

肖像は70歳のものを基に、60代前半を意識し改変されています。

2021年大河ドラマ「青天を衝け」により、大きな知名度はさらに増したはずです。

関わった会社は大変多く、その中でも鉄道会社、また汽車製造の創立や経営に携わりました。

以下、50音順に挙げてみます。


磐城鉄道 開業せず解散

越後鉄道 JR越後線白山〜柏崎

大船渡築港鉄道 不明

掛川鉄道 開業せず解散 掛川〜二俣に計画 天竜浜名湖鉄道とは別

岩越鉄道 JR磐越西線 郡山〜喜多方

函樽鉄道(北海道鉄道) JR函館本線函館〜小樽

畿内電気鉄道(京阪電車) 京阪本線天満橋〜三条

九州鉄道 JR鹿児島本線門司港〜八代ほか

京越電気鉄道 開業せず解散 群馬〜新潟を清水峠越えルート JR上越線とは別

京都鉄道 JR山陰本線京都〜園部

金城鉄道 開業せず解散 金沢〜名古屋

金福鉄路公司 南満州鉄道→中国国鉄金荘線(2015年廃線)

群馬電気鉄道 詳細不明 高崎〜伊香保 東武伊香保軌道とは別

京仁鉄道 韓国鉄道公社KORAIL京仁線ソウル〜仁川

京阪鉄道 開業せず解散 大阪〜京都 京阪電車とは別

京板鉄道 開業せず解散 板橋〜春日町(練馬区?)

京釜鉄道 韓国鉄道公社KORAIL京釜線ソウル〜釜山

京北鉄道 開業せず解散 京都〜敦賀 JR湖西線に近い?

神戸電気鉄道 神戸市電 1971年廃線

小倉鉄道 JR日田彦山線城野〜添田ほか

参宮鉄道 JR紀勢本線津〜多気 JR参宮線多気〜伊勢市

常磐炭礦鉄道 開業せず解散 水戸〜平 JR常磐線に近い?

上武鉄道 秩父鉄道秩父本線熊谷〜寄居

駿甲鉄道 開業せず解散 岩淵〜甲府 JR身延線に近い?

総武鉄道 JR総武本線両国〜銚子

大社鉄道、両山鉄道、大社両山鉄道 開業せず解散 出雲市〜米子〜広島を結ぶ 現行JR線とは別

台湾鉄道 開業せず解散 台湾国内の鉄道は官営として開業

筑豊興業鉄道(筑豊鉄道) JR筑豊本線若松〜飯塚ほか

朝鮮軽便鉄道(朝鮮中央鉄道) 不明

朝鮮森林鉄道 不明

朝鮮鉄道 上記二社含む数社を合併

筑波鉄道 筑波鉄道筑波線土浦〜岩瀬(1987年廃線)

鉄道会社(東京鉄道会社→東京鉄道組合) 新橋横浜間鉄道の払下げ計画が取消しされ解散 東京海上保険(現在の東京海上日動火災保険)を設立

東京瓦斯鉄道 開業せず解散

東京軽便地下鉄道(東京地下鉄道) 東京メトロ銀座線浅草〜新橋

東京市街鉄道、東京鉄道、東京電気鉄道、東京電車鉄道、東京馬車鉄道 全て東京都電車 1972年までに廃線

南豊鉄道 開業せず解散 大分県内

西成鉄道 JR大阪環状線大阪〜西九条、JR桜島線西九条〜桜島

日光鉄道 JR日光線宇都宮〜日光(開業は日本鉄道として)

日本鉄道 JR東北本線上野〜青森ほか

濃勢鉄道 開業せず解散 四日市〜垂井 三岐鉄道三岐線に近い?

函館馬車鉄道 函館市企業局交通部 函館駅前〜函館どつく前ほか

浜崎鉄道 不明 九州?

富士身延鉄道 JR身延線富士〜甲府

武上電気鉄道 不明 埼玉県忍町を通る?

船越鉄道 開業せず解散 船越〜太宰府 福岡県内

平安電気鉄道 不明 朝鮮半島

北越鉄道 JR信越本線直江津〜新潟

北海道炭礦鉄道 官営幌内鉄道手宮〜幌内の払下げ JR函館本線南小樽〜砂川ほか

水戸鉄道 JR水戸線小山〜友部、JR常磐線友部〜水戸(友部駅は日本鉄道買収後に開業)

南満州鉄道 ソ連に接収、戦後中国国鉄に譲渡

目黒蒲田電鉄 東急目黒線目黒〜多摩川、東急多摩川線多摩川〜蒲田

毛武鉄道 開業せず解散 板橋〜足利

陸羽電気鉄道 開業せず解散 塩釜〜最上

両毛鉄道 JR両毛線小山〜前橋




新紙幣発行から数週間、私の手元には北里柴三郎が2枚。

渋沢栄一はすぐに他の手に渡ってしまい、津田梅子はまだ見たことがありません。


いずれはこの新紙幣に置き換わるので、珍しいものではなくなります。見慣れた印刷となる日が来ます。

たまには過去の紙幣を思い出してみてください。そしてその偉人たちに思いを馳せてみるのも、いいんじゃないでしょうか。