いつもありがとうございます。

 

 

私事ではありますが、先日東京メトロと都営地下鉄の未乗路線を乗り潰してきました。

その途中で、押上にあります「たばこと塩の博物館」に立ち寄りました。

「たばこ」「塩」の組合せからわかるとおり、専売公社(現在のJTと塩事業センター)でございます。

塩でしかお世話にならない私がここに赴いた理由はこちら。杉浦非水の展覧会のためです。
三越百貨店関連の作品で有名ですが、あの「東洋唯一の地下鉄道」もこの方です。

それを踏まえまして、まずは東洋唯一の地下鉄道です。

鉄コレ 地下鉄博物館開館30周年記念 2016年7月12日発売
東京地下鉄道1000形 1001
1927年11月日本車輌東京製
1930年 前照灯後退 連結器交換
              柴田式自連→トムリンソン式密連
1939年頃 安全畳垣撤去
1948年 台車交換 日車D18→汽車HA-18
1960年以降 転属 上野→渋谷
1968年 廃車
1970年 交通博物館へ寄贈
1980年 台車交換 汽車HA-18→日車D18
1986年 地下鉄博物館開館に伴い移設
2016年12月5日 譲渡 メトロ文化財団
2017年 重要文化財指定

付属ステッカー(1000形用を抜粋)
側面サボ [野上↔草淺][草淺↔野上] 各2枚
運行番号札 [21] 3枚

こちらが東洋初の地下鉄です。早川徳次率いる東京地下鉄道です。5分の乗車のために2時間待ちという伝説を作りました。
1927年の日車製(1001~1010)と、1929年の川崎製(1011~1021)が存在しました。
1927年12月30日の開業から1940年頃までは基本的に1両単独で走っていました。
1001~1010は連結器交換の際に、100形や1011以降と同様、屋根を切り欠き前照灯を後退させています。そのため保存車の形態はかなり短期間ということになります。

これまでは林檎製作所様(KitcheN)の金属キット、もしくは日立電鉄or銚子電鉄を復元するしか作りようの無かった銀座線旧型車両に、初のプラ完成品が登場しました。しかもKitcheNとは被らない原型です。
動力ユニット用の台車枠はありません。元の台車枠を切り取り貼り付けるか、類似台車を使用します。作例では鉄コレ初期からある「U型イコライザ」を使用しました。

東京高速鉄道100形 129
1937年川崎車輛製
1948年 塗装変更 緑→黄色(銀座線標準色)
1959年 混結対応改造
1968年 運用終了
              118と129は中野検車区の牽引車へ
1981年11月26日 廃車
1986年 地下鉄博物館開館に伴い移設
              その際車体を切断

付属ステッカー(100形用を抜粋)
前面サボ [澁谷新橋間]3枚
側面サボ [橋新↔谷澁][谷澁↔橋新] 各2枚
運行番号札 [1] 3枚

東急といえば日本中どこにでもいるようなものですが、東京高速鉄道も元々は東急の五島慶太のものでした。早川相手にすったもんだを起こし、強盗慶太と言われる所以を作ったのは有名なお話。
1937年に101~130が川崎車輛で製造されました。
1940年頃までは基本的に2両で運転されていました。
1939年9月16日の直通開始後は東京地下鉄道の車両と混ざって運転されたわけですが、100形の性能が他より良いせいで常に1000形等々を追い回していました。
機器類の配置の違いから、1959年の改造までは100形同士でしか連結できませんでした。

こちらはKitcheNに同じ形態のキットがあります。現役当時の2~3両にしたい場合はそれを使うのも手です。
同じく動力ユニット用の台車枠はありません。こちらに関しては元の台車枠を切り取るしか無さそうです。いっそ再登場を待っても良いでしょう。


鉄コレ 営団地下鉄2000形 2016年7月発売
2130+2071(画像なし)全体オレンジの末期塗装

付属ステッカー
行先 [渋谷][上野][赤坂見附][虎ノ門][新橋][銀座]
         [三越前][浅草] 各3枚
列車番号 [47][72][31][41][09] 各3枚
優先席(2000形側面後部窓・妻窓) 9枚
シルバーシート(2000形後部戸袋窓上) 5枚

基本的には連番で組む2000形ですが、固定編成化の組み替えなどでかなり崩れています。
この両車は短期間のみ同じ編成に組み込まれていました。※屋根が赤茶色のため厳密な再現不可
G68編成(1985~87)
←浅草                               渋谷→
2130 2100 2054 2072 2053 2071
1987年以降はそれぞれ別の編成に分かれていきました。2071は1500N形の1501-1502ペアと組み、銀座線の旧型車両完全撤退まで走り続けました。(1501-1502ペアはあの1001と1002のラストランに使用された車両でもある)

一般販売分と事業者販売分があり、前者は[浅草]、後者は[渋谷]の行先が印刷されています。
銀河モデルからは、このセット用のインレタが販売されました。以下は収録編成です。
品番N751(車体印刷の車番の上から貼る)
品番N752(車体印刷の車番を消して貼る)
G66編成(1985~87)
2076 2106 2105 2064 2075 2063
G67編成(1985~87)※屋根は赤茶色
2048 2030 2099 2047 2029 2069
G74編成(1985~87)
2126 2110 2128 2127 2045 2125

また、ワンマイルから1500N形プラキットが製品化されました。鉄コレ1セットとキット2セットで最末期の貫通編成を組みます。
こちらも銀河モデルのインレタを使用します。
品番N753(鉄コレには車体印刷の車番を消して貼る)
G75編成(1985~87)※屋根は赤茶色
2044 1558 1557 1548 1547 2043
G37→G67編成(1987~93)
2046 1514 1513 1502 1501 2071
G84→G33→G63編成(1985~93)※87年まで屋根は赤茶色
2096 1552 1551 1524 1523 2095
G91→G40→G70編成(1985~93)※1500N2形のため加工必須
2074 1568 1567 1562 1561 2061


鉄コレ 営団地下鉄銀座線2053編成 2017年8月発売
左:渋谷寄先頭車 2053(1号車)
右:浅草寄先頭車 2054(6号車)
2000形は1959年登場の銀座線初の片運転台車両です。東急、日車、川崎、近畿、帝国、富士重、日立の7社で製造されました。あの新幹線0系よりも1社多いです。
2029~2132の104両が存在しました。番号が途中から始まる理由は後ほど。
奇数車は渋谷・荻窪・方南町向き、偶数車は浅草・池袋・中野坂上向きです。

1360 付随車・中間車化改造(5号車)
1300形は帝都高速度交通営団発足後の1949年に登場しました。営団初の車両で、1355~1369の15両が汽車製造で製造されました。
カルダン駆動が増えたため、1965年前後に画像のように中間車化されました。

1824 (4号車)
1800形は1958年に登場しました。1819~1826の8両が帝国車輛と日立で製造されました。
丸ノ内線の300形の設計を意識しており、銀座線初の両開きドアとなりました。

左:1557 (2号車) 右:1558 (3号車)
1500N形は1968年に登場した、2両ユニットの完全な中間車です。
1501~1560の60両、また1981年に1561~1568の8両が汽車、東急、日車、川崎、近畿で製造されました。
初期の60両は東西線の5000系、後期の8両は2000形似です。

付属ステッカー
行先 [渋谷][上野][赤坂見附][虎ノ門][新橋][銀座]
         [三越前] 各3枚
列車番号 [01][07][35][47][55] 各3枚
優先席(2000形側面後部窓・妻窓) 9枚
シルバーシート(2000形後部戸袋窓上) 5枚

待望の混成編成の登場です。1968~84年の第19編成がモデルです。因みに過去のBトレと全く同じ構成でした。
中間車が全車違う形態で既に面白いですが、まだまだ多くの種類が銀座線にはありました。いっそ銀座線のみのブラインド販売なんていかがでしょう。
台車の都合で、動力ユニットは2000形と1500N形のみ対応します。

ここで番号について。東京地下鉄道と営団では、車番を形式に関わらず連番としていました。日比谷線の3000系の途中まで続きます。
1000形 1001~1021  300形 301~330
1100形 1122~1130  400形 431~468
1200形 1231~1254  500形 569~802
1300形 1355~1369  900形 901~918
1400形 1470~1471  3000形1 3001~3016
1500形 1572~1574  3000形2 3017~3028
1600形 1675~1689  4000形2 4029~4056
1700形 1701~1718  3000形3 3057~3060
1800形 1819~1826  4000形3 4061~4064
1900形 1927~1928  (以降付番見直し)
2000形 2029~2132
1500N  1501~1568


鉄コレ 営団地下鉄銀座線2063編成 2021年5月発売
2076+1566+1565+1564+1563+2063
付属ステッカー
行先 [渋谷][上野][赤坂見附][虎ノ門][新橋][銀座]
         [三越前] 各3枚
列車番号 [01][07][35][47][55] 各3枚
優先席(2000形側面後部窓・妻窓) 9枚
シルバーシート(2000形後部戸袋窓上) 5枚

1991~93年のG69編成がモデルです。屋根は車体色と同じオレンジです。


銀座線を並べてみました。本来1000形と2000形は同じ塗装のはずですが、戦時中の混乱のせいか変化したそうです。実際1000形の末期はオレンジ色でした。
現在銀座線で活躍する1000系は黄色にオレンジの帯ですが、開業時と1980年頃の車両の色を組み合わせたことになります。


鉄コレ 営団地下鉄2000形丸ノ内線 2018年12月発売
左:荻窪・方南町寄先頭車 2033
右:池袋・中野坂上寄先頭車 2034
2092 

1981~93年の分岐2→M82編成がモデルです。2092のみ先頭部未更新のまま残りました。
ステッカーは付属しないため、往復表示以外にするときは銀河モデルやBトレのものを利用します。
台車の都合で、動力ユニットは2092のみ対応します。


MicroAce A6692 営団3000系東京メトロ保存車 2017年6月発売
左:北千住・南千住寄先頭車 3002
右:中目黒・仲御徒町寄先頭車 3001
付属ステッカー
行先 [南千住][仲御徒町][北千住][人形町] 各3枚
列車番号 [1][2][3][4][21s][25s] 各3枚

2021年現在、日比谷線の千住検車区に保存されている車両です。
もともと営団での保存用として確保されていましたが、長野電鉄に譲渡したグループ内に事故廃車が発生したためこの2両も送られました。
長電での運用終了後に返還、その後はメトロの匠により、現在の姿まで復元されました。
マイクロエース製品では返還直後の姿をしています。最新仕様の製品化が望まれますね。


鉄コレ 東京メトロ5000系 2019年11月17日発売
←北綾瀬(中野) (西船橋)綾瀬→
5151+5455+5951

1967年の3次車アルミ車体グループです。ステンレス車とは違い見た目すっきりしています。登場時は7両、のちに5+5両となりました。1999年まで東西線で活躍したのち、北綾瀬線用に3両2編成に組み替えられました。このとき東西線時代に撤去された5151(と5152)のパンタグラフが復活しました。
2014年5月30日に引退、現在は綾瀬検車区で動態保存されています。過去に3001号車と共に確保されていた5001号車、南砂町に保存されていた5833号車は現存しないため、唯一の保存車となりました。

後述の6000-の翌年に発売されました。今回は台車枠が付属するので問題なく動力ユニットを付けられます。
なお綾瀬検車区での先行販売分に印刷ミスがありました。詳しくはこちら↓


鉄コレ 東京メトロ6000-系 2018年11月18日発売
←北綾瀬(中野) (西船橋)代々木上原→
6000-3+6000-2+6000-1

ハイフン車という名前でお馴染み、6000系1次試作車です。2次試作車、量産車とは形状がずいぶん違います。
現在は新木場の訓練施設で活躍しています。

ダミーカプラーの受けが凝った形状をしています。
なおこの3両はこれより前にKitcheNキットで製品化されています。
動力ユニット用の台車枠は付属しません。現在の台車はFS-502という5000系と同様のものなので流用できますが、5000付属の台車は5000に使い切るはずなのでやっぱり類似台車を探す必要がありそうです。
TM-12にFS369という台車があるので、私ならそれを使うと思います。
(俗に言う阪急ミンデン、GMキットでは万能の台車。ちなみに6000-が登場時に履いていたのはFS368)


1000形、2000形、3000系、5000系、6000系と揃ったので、なんとなく並べてみました。
第三軌条組が一緒に写っているのは、Mission  for Tokyo 2020を彷彿とさせますね。メトロ渾身のコラ画像ですが、あの広告はどのように作られたのか気になります。

それでは、手持ちの地下鉄全車でした。丸ノ内線の保存車が製品化されたらきっと買います。
2024年4月追記 301号車がメトロの缶詰にて製品化されました。(カトー製)
もちろん買いました。