前回のグリム童話(「残酷なおとぎ話
」)に続いて、日本の童話のお話しなど。どこかのWebサイトで書いてあった説です。話には説得力があるのでsanregは信じていますが、正確なところはわかりません。しかも、どこのサイトか、URLもわからなくなってしまいました。
日本の昔話はそれはそれでちょっと特殊なようです。よくある昔話はこんな感じで始まりまますよね。「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。その2人の元に、かぐや姫が、桃太郎が、(つまり神の子)が来ました。」 考えてみるとこのような始まり方をする昔話は日本の昔話だけではないでしょうか。sanregも一般的な昔話しか知りませんが、外国の昔話で、おじいさん・おばあさんのところに神の子がやってくるようなお話しは知りません(アジアの昔話は全く知りません。あったらごめんなさい)。
歴史的には日本で一番古いおとぎ話は「竹取物語」と言われていますから、平安時代です。ここでもグリム童話の暴力のように、この時代の風俗がやはり日本の昔話でも出ています。
しかも、この話はあの江戸時代にできた吉原とも関係しているのです。吉原の娼婦のことを「遊女」といいます。この遊女の語源ですが、そもそも「遊ぶ」というのは平安時代には神に歌や踊りを奉納することでした。そして、神に歌や踊りを奉納する人が女性である巫女さんです。時代が下って歌や踊りだけではなく春を売るように続いていくようです。
神とは巫女さんを通じて、コミュニケーションをとっていました。そのコミュニケーションの手段は体と体を接することで、まさに神と一体になる重要な宗教行為だったわけです。
当時のことですから、避妊の方法などあるわけもなく必然的に父親がわからない子供ができてしまうことになります。素晴らしいのがそのこどもの育て方ですが、できてしまった子供をその巫女さんのいるコミュニティー(村とか集落とか)全体で神の子として育てるわけです。そして、コミュニティー全体で育てつつも、主に育てるのが子供のない老夫婦となります。これは、老夫婦が亡くなってしまうと、その開墾した田畑は朝廷にとられてしまうので、跡継ぎが絶対に必要なわけです。
つまり、おじいさん・おばあさんのところに神の子(巫女さんの子供、というより神から授かった子供)がやってくるわけです。そこで、昔話では、「むかしむかしおじいさんとおばあさんがいました。そのおじいさん・おばあさんのもとに神の子であるかぐや姫が、桃太郎が、来る」わけです。
このように昔話を見ているとおもしろいですよね。全然関係ありませんが、このような歴史的な背景があるからこそ、日本人は性におおらかであるのではないか、と考えています。なにせ、神様と接する重要な宗教行為なのですから。ちょっとこじつけになりますが、男性性器や女性性器がご神体としてあるのも、こんなことが関係してくるのかも。

日本の昔話はそれはそれでちょっと特殊なようです。よくある昔話はこんな感じで始まりまますよね。「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。その2人の元に、かぐや姫が、桃太郎が、(つまり神の子)が来ました。」 考えてみるとこのような始まり方をする昔話は日本の昔話だけではないでしょうか。sanregも一般的な昔話しか知りませんが、外国の昔話で、おじいさん・おばあさんのところに神の子がやってくるようなお話しは知りません(アジアの昔話は全く知りません。あったらごめんなさい)。
歴史的には日本で一番古いおとぎ話は「竹取物語」と言われていますから、平安時代です。ここでもグリム童話の暴力のように、この時代の風俗がやはり日本の昔話でも出ています。
しかも、この話はあの江戸時代にできた吉原とも関係しているのです。吉原の娼婦のことを「遊女」といいます。この遊女の語源ですが、そもそも「遊ぶ」というのは平安時代には神に歌や踊りを奉納することでした。そして、神に歌や踊りを奉納する人が女性である巫女さんです。時代が下って歌や踊りだけではなく春を売るように続いていくようです。
神とは巫女さんを通じて、コミュニケーションをとっていました。そのコミュニケーションの手段は体と体を接することで、まさに神と一体になる重要な宗教行為だったわけです。
当時のことですから、避妊の方法などあるわけもなく必然的に父親がわからない子供ができてしまうことになります。素晴らしいのがそのこどもの育て方ですが、できてしまった子供をその巫女さんのいるコミュニティー(村とか集落とか)全体で神の子として育てるわけです。そして、コミュニティー全体で育てつつも、主に育てるのが子供のない老夫婦となります。これは、老夫婦が亡くなってしまうと、その開墾した田畑は朝廷にとられてしまうので、跡継ぎが絶対に必要なわけです。
つまり、おじいさん・おばあさんのところに神の子(巫女さんの子供、というより神から授かった子供)がやってくるわけです。そこで、昔話では、「むかしむかしおじいさんとおばあさんがいました。そのおじいさん・おばあさんのもとに神の子であるかぐや姫が、桃太郎が、来る」わけです。
このように昔話を見ているとおもしろいですよね。全然関係ありませんが、このような歴史的な背景があるからこそ、日本人は性におおらかであるのではないか、と考えています。なにせ、神様と接する重要な宗教行為なのですから。ちょっとこじつけになりますが、男性性器や女性性器がご神体としてあるのも、こんなことが関係してくるのかも。