こんにちは、ほたるです。


術後26日目

車椅子自立になって、とても解放された感じです。

車椅子の操作も上手になり、病棟の廊下を走り回っています。と言っても、人が少ない早朝や夜間帯です。

車椅子テニスプレイヤーになれそうと勘違いするほど、軽快に動き回っています。

また、暇を持て余すようになってきたので、心身が回復してきたのかなと思います。

また、術足側の寝返りがとても楽にできるようになりました。


ですが、一昨日は卑屈な考えに支配されていました。

隣の個室の患者さんは2日前から杖歩行になりました。それまでは、二人共、車椅子で日の出を眺めていたのに、今、彼女は杖。私は未だ車椅子。

人と比べても仕方ないのは充分承知していても、私より遅くに手術した彼女が、私を追い越していく。

羨ましいという気持ちと同時に、もし、Dr.Greenではなくて、彼女を手術したOH先生だったら、こんなことにはならなかった?

他の先生だったら、結果は違っていたかもしれない。

こんなはずではなかったと思えば思うほど、歪んだ考えになってしまいました。

いつも気にかけてくれるDr.Greenには感謝しているけど、なかなか現実を受け入れることはできません。



「警戒していた感染症を起こさず、治療拒否もなく、鬱にもならずに3週間を乗り越えたのに、こんなことになって悔しいです」と、Dr.Greenに、思いを初めてぶつけました。

Dr.は「私も悔しい」と一言。

骨がもろそうだという予測は立っていたので、注意して手術した。

けれど、このような結果になって悔しい。

同じ悔しい気持ちでも、先生の悔しさと私の悔しさは違うと思いました。

そもそも立場が違います。

あちらは医療者で私は患者。

同じ悔しさでも、その意味はかなり異なります。


Dr.は言いました。

骨が硬くても割れることはある。また、スカスカでも割れないこともある。

もろそうだという予測されても、手術できると判断した。しかし割れるとわかっていて、手術したなら、それは医師の判断ミス。


そうは言っても、結果は変えられないし、時間は戻らない。

受け入れていくしかないことは充分わかっている。

それができたら、とても楽になるのにな。


でも、悔しいと言ってくれて、ちょっとホッとしました。