こんにちは、ほたるです。
前回の記事に書きましたが、私には脾臓がありません。
7歳の頃、交通事故に遭い、重傷を負いました。
50年以上前のことです。
当時は超音波などなかった時代。
内臓が破裂していることはわかるが、どの内臓なのかはわかりません。
両親は、執刀医から「開いてみないとわからない。
覚悟しておいてください」と言われたそうです。
父が運転するセダンに、母が助手席、私が後部座席に乗っていました。季節は冬。
北に向かって、家族でちょっとしたドライブに出かけました。
山間の国道を走行していたら、道路が黒く光って見えた。凍っていると父はすぐわかったそうです。
そこへ、反対車線からバスがやってきました。
私たちが走っていた左側のガードレール下にはダム湖。
父はとっさに反対車線へハンドルを切り、バスにぶつかっても、湖に落ちることだけは回避する判断をしたそうです。
私はぶつかった時の衝撃はまったく記憶がなく、気がついたら、後部座席の床に転がっていました。
重傷を負ったのは私だけで、両親は軽傷でした。
その後の記憶は途切れ途切れで、とにかく何もかもが怖くて仕方なかったことだけが、皮膚感覚として今も残っていて、トラウマになっています。
人工関節科の主治医から、脾臓がないと感染症のリスクが高いと言われ、手術してもらえないのかと思いました。
しかし、私にとっては脾臓がない身体として、これまで生きてきて、それが当たり前でした。
医師に「成人してから脾臓を取った場合と、小児では状況がまったく異なります。小児で脾臓を取ってしまうのは、今ではあり得ないことであって、その生存率は10%です。
これまで、何もトラブルなくよく生きてこられましたね。子どもを産み、育て、お孫さんもいる。
本当にすごいことですよ」と、褒められました。
医師は、手術に当たり脾臓がないことが、どれだけリスクがあるのか説明しました。
なぜならば、人工のものを身体に入れること自体が、それ以外の手術以上に、感染症に注意をしなければならないこと。というのも、人工股関節には血管がないので、万が一感染してしまったら、患部を自力で修復することが不可能であるからです。
生存率10%と言われても、あの時は命を救うために、そうするしかなかったわけです。
脾臓がない身体が当たり前と思って生きてきて、ここにきて、この身体が手術の妨げになっている。
自分の身体が恨めしいと、これほど思ったことはありませんでした。
命を救うために、脾臓を取る選択しかなかったのに、それが足枷となってしまっていることに絶望感すら感じました。