1977年(昭和52)年の夏に、生まれて初めて北海道を旅しました。
古いアルバムを見ながらふと、学生時代の貴重な体験と思い出を(ボケる前の)今のうちに記録しておこうと思い、このブログを立ち上げました。
このブログを見て、同じ頃に旅をした同年代の方々の記憶の掘り起こしになれば幸いです (ふ)
初日 1977年 8月10日(車中泊)
福山 17:56 → 東京 22:56 (新幹線利用) ※当時5時間、今3時間半!
上野 23:21 → 青森 11:40 … 夜行急行 十和田3号
上野駅で、既にホームに停車していた十和田3号に乗り込むとデッキや通路まで既に人で一杯の状態で、大きなリュックを背負った川上君とふたり、先客に嫌な顔をされながらも人をかき分けて乗車。
今思えば、お盆前で帰省客が多いというのは安易に想像できるが、田舎もんの自分は、混雑という概念がこれっぽっち無かったので、まあ焦ったコト…(;^_^A
なんせ周遊券を握りしめての貧乏旅行。夜行急行とはいえ自由席での移動だったため、座ることも出来ず(荷物はなんとか足元に置く事が出来た)、このまま青森まで行くのかと憂鬱になっておりましたが、たまたま隣に座っていたおばちゃんが夜中に途中の駅で下車してくれたため(今思うとどこだったんだろう)、なんとか座ることができたのはラッキーでした(ツレの川上クンはもう少し通路に立ってたと思う、ゴメンね、川上くん(^^;)。
夜行電車の自由席で朝を迎えるのはこれが初めての経験だったけど、若かったんですね、楽しい記憶だけで疲れた記憶が無いのよね、今じゃ考えれん…。飛行機や新幹線での移動が当たりで、夜行電車もすっかり姿を消した昨今、お金を出しても経験できない貴重な体験をさせてもらいました。
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第二日 1977年 8月11日(大沼公園 泊)
青森 12:05 → 函館 15:55 …青函連絡船 摩周丸
函館 → 大沼公園 → 大沼景雲荘YH
北海道に到着したのは、午後4時頃。まるまる一日かかった計算で、北海道ってやっぱり遠いって事を身をもって感じました。初めて乗る青函連絡船のまあ巨大なこと、揺れもほとんど感じなかった。
お昼ごはんは、連絡船の食堂で頂いた海峡ラーメン 400円。旅行に行く前から食べたかった一品を堪能しました。
道内での初宿泊は、大沼景雲荘ユースホステル。当時は、一泊二食で1450円で宿泊できたのね^^ 【1976年版ユースホステル ハンドブックより】
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第三日 1977年 8月12日(支笏湖 泊)
大沼公園 10:03 → 苫小牧 13:08
苫小牧 14:25 → 支笏湖 15:09 → 支笏湖YH(宿泊)
朝、大沼湖周辺をレンタサイクルで散策したあと、目的地の支笏湖へ。電車の時間待ちの間に駅の売店で買った牛乳(60円)の濃厚なこと。美味しかったなぁ。
一緒に旅行した川上クンとユース前で記念撮影
大沼公園駅をバックに記念撮影。駅舎は今も昔のまんま残っているみたいですが↓
周辺の雰囲気はずいぶん変わっているみたい。
現在の大沼公園駅
苫小牧に向かう途中、当時噴火が始まりになっていた
有珠山を車窓からパチリ。イマイチ判りにくいね。
苫小牧から支笏湖まではバスで40分くらいだったかな。この日は支笏湖の周辺のキャンプ場にテントを張って泊まる予定だったけど、夜雨との予報で急遽支笏湖ユースホステルに宿泊することに…。
ユース全盛期のこの頃は、学生の宿泊施設としても大人気で、特に夏の北海道はどこもほぼ満杯だった記憶があるなぁ。また当時のユースはいくら満室でも、基本的には来るもの拒まずで、当日の突然の予約でも、ほぼ宿泊することができた非常に有難く、ゆるーい感じの宿泊施設でした。
屋根が特徴的なこの建物に泊まりましたが、到着した時には人がいっぱいで驚きました。自分達は当日予約でもちゃんと部屋に宿泊する事ができましたが、食堂で寝ている連中もいました(この画像は宿泊記念でいただいたポストカード)。
ちなみにこの建物は、協会直営の第一号施設だとかで、現在は老朽化のため、こちらには宿泊できないそう。
ユースに宿泊した人から周辺の観光情報を仕入れ、翌日は支笏湖観光とオコタンペ湖に行くことにしました。
つづく…