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$散歩犬人のブログ-とつぜん宮内庁

宮内庁管轄の、皇族の陵墓は東京都内に4カ所しかないようです。
武蔵陵(八王子市)、豊島岡墓地(文京区大塚5丁目)、輪王寺宮墓地(台東区上野公園寛永寺両大師内)、そしてこの「興意親王墓」。意外と由緒正しいものです。

では興意親王とはどなたか。
朝日日本歴史人物事典の解説によると
http://kotobank.jp/word/%E8%88%88%E6%84%8F%E6%B3%95%E8%A6%AA%E7%8E%8B
生年:天正4.10.12(1576.11.2)
没年:元和6.10.7(1620.11.1)
安土桃山・江戸前期の皇族。誠仁親王の第5王子,母は新上東門院晴子(勧修寺晴右の娘)。初め円満院へ入るが,天正19(1591)年1月聖護院へ入り,道勝と名乗る。慶長13(1608)年12月興意と改名する。同15年3月三井寺長吏となり,同18年11月二品に叙せられる。同19年8月豊臣氏が建立した方広寺大仏殿の棟札銘文に,書くべき大工頭の名を入れなかったという江戸幕府の嫌疑を受け蟄居した。元和2(1616)年聖護院寺務および三井寺長吏を退いた。嫌疑が晴れたのち白川に照高院を移し,ここへ入った。同6年9月江戸へ下向,滞在中急死した。
(藤田恒春)

この興意(法)親王は、織田信長の「猶子」でもありました。猶子(ゆうし)とは、「他人の子供を自分の子として親子関係を結ぶこと。ただし、養子とは違い、契約関係によって成立し、子供の姓は変わらないなど親子関係の結びつきが弱く擬制的な側面(その子の後見人となる)が強い」とのことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%B6%E5%AD%90

祖父の正親町(おおぎまち)天皇とは、戦国時代に生きた天皇です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%AA%E7%94%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87

どちらも苦労が多かったようですね。

追記 2011年6月12日 もうちょっとよい写真が撮れたので。皇族の墓のわりには、まわりに安っぽい家(失礼)が建て込んでいて、とても風情があるとは言えません。亡くなってからも苦労しているみたいです、この方。お墓もちっちゃい。もっとも、こちらはちっちゃいほうが、かえって落ち着くのかもしれません。
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