こんにちは。
昨夜からの雨で、
夫の仕事が休みになりました。
なんか野球選手みたい⚾️ですが、
造園業です。😁
私の実家は、
駅前商店街のちょーど真ん中にありました。
母が離婚して、
母と私と妹が祖父母の家に転がり込んだ?
母からしたら、舞い戻って来たカタチです。
私の今は、あの商店街によって作られた!
と言っても過言では無いほど、
濃く、厳しくも楽しい日々でした。
祖父母が新婚時代に住み始めた商店街。
歴史は古く、
当時としては新しかったアーケード商店街は、
とても賑わってました。
まさに市民の台所です。
祖母はなかなかの商売上手で、
祖父が戦争に取られてる間、
料理屋を営んでいたそうです。
料理人、住み込みの従業員や、お手伝いさんも居て、
祖母か嫁入り支度をして、
嫁がせた事もあったとか(母から聞く)
その後もずっと商売人でした。
祖父が若くして亡くなり、
今度は母が大黒柱で昼夜働きました。
祖母は母親代わり。
裁縫や編み物何でもこなし、
料理上手でもありました。
今でも基本はおばあちゃんの惣菜のような、
茶色いおかずが大好きです。
安心で胃腸がホッとする感じ。
その後、私が沖縄の離島に嫁ぎ、
祖母が亡くなり、
阪神淡路大震災で実家が半壊しました。
妹も家から出て結婚してたので、
その頃から急に心細くなった母。
私たち夫婦も何度も何度も話し合い、
兵庫で暮らすことを決めたのです。
夫にとっては一大決心だったと思います。
よくついて来てくれました。
感謝しかありません。
戻ってきたはいいものの、
当時は駅前再開発で、
商店街立ち退きの話し合いが続き、
本当に大変でした。
(血尿が出たほど)
夫の仕事の事、住居の事、体調の事、
一番戻りたくない時代。。。
すったもんだのすえ、
商店街の立ち退きが決まりました。
最後の営業の日、
無料でお世話になったお客様を招待し、
別れを惜しみましたが、
案外母は明るく楽しそうでした。
正直、私はホッとしてました。
大きな仕事を終えた気分。
当時30代半ば。
だいぶん経ってから、
取り壊された跡地に母を連れて行きました。
その時母はじめて泣きました。
思い出が一気に蘇って来たと。
母にしたら生まれた土地です。
良いことも悪いことも山のようにあったと思います。
そんな物語が、
きっと各地であるのです。
母は今、私たち夫婦と三人暮らし。
私より元気なもうすぐ86歳。
機嫌良く元気で暮らして欲しいです。
それではまた。
👋