🔼 今年一つだけ咲いたシークヮーサーの花







こんにちは。


今日は子供時代に育った商店街でのお話。



我が家と仲良くさせて貰っていた、


「伊勢屋」という屋号の魚屋があった。


はるばる三重県は伊勢から、


毎日鮮魚を運んで、


兵庫県の商店街で売っていた。



伊勢の魚は美味しくて、


お昼頃には殆ど売れてしまうほど、


繁盛している店であった。


私が子供の頃はおじちゃん、おばちゃんの、


ご夫婦と、もう1人手伝いの女性で切り盛り。


前を通る時は必ず挨拶した。



祖母に聞いた話しだが、


そのまた昔「鮮魚列車」と言う、


行商人が伊勢から大阪まで乗る、


魚屋の専用の列車があったらしい。





 🔼 画像あり 写真借用





伊勢屋の屋号はその頃の名残りらしい。


最初はリヤカーで売っていたのを、


当時商店街の会長だった祖父が、


店舗を貸すよう尽力してくれたと、


その話を伊勢屋のおじちゃんから何度も聞いた。



今のように流通網が完成する前、


海の近くの魚屋が、


新鮮な魚を背負い、


電車に乗って売り歩いていた。


そんな苦労を知り、


祖父も何とかしてあげたかったのかも。


(必殺遊び人だった祖父、人情にはやたらあつく

 皆に好かれた人だった)




伊勢屋さんは祖父亡き後も、


毎年お正月には、お頭付きの立派な焼き鯛を届けてくれた。



大変だった行商人からの魚屋は、


後々娘さん夫婦が手伝って、


三重県に超!豪邸を建てた。


庭も広く、露天風呂まであった。


(写真で見せてもらう)


遊びに来てよ。と何度も言っていたけど、


豪邸を新築されたすぐ後、


ご夫婦共続けて亡くなられた。





やっと隠居して、ゆっくり暮らせると言う時に。


私達も大きなショックを受けた。




商店街での立ち話。


八百屋のおっちゃんの推しが藤あや子で、


伊勢屋のおっちゃんは長山洋子。


半分ケンカしながら、


良いところを言い合っていたのを思い出す。


楽しい昭和の日常。



ちょっとノスタルジー。



それではまた。


👋ニコニコ