◆自分でも情けない生活だと感じる。じつは同じマンションに2部屋所有し、うち1部屋をPCをおいて事務所使いしている。

問題はその間の移動手段だ。たかが3階を車椅子で動していうといいうことだ。いつから足の具合が悪くなったのか、それは明らかに肺癌での入院がきっかけだ。一度使うとやめられない。いつの間にか日常使いとなる。以前は杖をついていぢうしていたのが車椅子となってしまった。今はトイレは杖、移動は車椅子となってしまった。これが本当に情けなさ。何とか善かを考えるのだがうまくい改善を試みている。
 

2024年8月号  石川 三平
🔷ニュースで「小池」や「トランプ」とみると吐き気がする。政治学に多少の知識があり国際政治にもまともな常識があると自認しているからだろう。日本国民やアメリカ市民お常識を疑ってしまう。僕がおかしいのかもしれないが、やはりかれらを支持するのをみればおかしいと思わざるをえない。簡単にいうと彼らの手法は「イカサマ」である。彼らは似たタイプであることは自明だろう。民主主義先進国のアメリカ人が彼らを支持することは僕が疑うのは当然である。300芽㎜近く民主主義ヲはぐくんできた国民の歴史はなんだったのか疑わざるを得ない。「小池」や「トランプ」は民主主義ではない。
 

三平塾ブログ7月号
2024年 7月  石川 三平

◆「集合知」という言葉を思い知る。ハイレベルな生活をしていると思っているが、あちこちでチョンボを繰り返していることは自明の理。残念だ。特に深夜寝付けず深夜放送を見る事がおおい。最近の放映を視ていると「学問的」には軽いが「芸術的」には重いと感じられる。偏差値が高いが芸術的には弱いはずだが、小生、小学生時代芸術にのめり込んだ時期もあり、一概に芸術に弱いとは言い切れない。特に最近の芸術論を見ているとこれが特に数学的で理論的な解説が多く、驚く。偏差値が高いと言わざるを得ない。芸術が論理的になると本格的な学問呼ばざるを得ない。兄弟の中でも芸術ということになると自負心もでる。特に「色」。数値化する手法には驚く。学問的だ。興味を持つ。この世界がますます広がるともっと競争レベルがあがり、身をもって争うべき人間が増える。いいことだの範囲が拡がるということである。ダメ人間の浅はかさを致命的と評価するがバカ問題は色の世界にも及ぶことになる。「知力競争」の範囲が広がるということである。「色」の世界に「楽器」が加わると言わざるを得ない。
医学の世界は狭すぎる。