そもそもミスティックウォリアーズというゲームの開発がどんなきっかけで始まったのか、それを説明するには1991年から1992年頃のアーケードゲームのアメリカ市場とコナミ社内の空気について触れるところから始めなければなりません。

 

ちょうどその頃、私はコナミに入社しました。まだ神戸のポートアイランドにコナミがあった時代です。開発部署としては、ハードウェア開発の開発1部、アーケードゲーム開発の開発2部、コンシューマーゲーム開発の開発3部、そして音楽担当のサウンド部署(通称SD)がありました。

東京にもアーケード、コンシューマー、特機の開発部署があったように思います。

 

私は神戸の開発2部にプログラマーとして配属され、ちょうどサンセットライダーズの開発が終わり、発売前の最後のバグチェックを行っている時期だったので、新人研修も兼ねてテストプレイ要員として、サンセットライダーズチームに入れてもらいました。その後、特にバグも発見されず、サンセットライダーズの開発は正式に終了となりました。

 
この時期、開発2部には頻繁に出てくるキーワードとして「亀忍者」というものがありました。当時アメリカでは、TMNT(ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ)というアニメが流行っており、それを題材にして開発2部で作ったアクションゲームが、アメリカのアーケードゲーム市場で大ヒットしていたのです。「亀忍者」というのは開発2部内のTMNTの通称で、亀忍者のリーダーはボーナスで新車のフェアレディZを現金で買ったらしいぜ!と評判で、売れるゲームを作れたらあんないい思いができるんだという、ある種、サクセスストーリーの象徴みたいな感じになっていたのです。
(ちなみに、私はそのフェアレディZに一度だけ乗せてもらったことがあります)
 
さて、社員がそんないい思いが出来たということは、会社も物凄く儲かったわけで、そうなると会社としても「お前らどうせゲーム作るんだったら、ああいうのを作ってくれよ」という天の声みたいなものも、やっぱり出てくるわけです。
開発部の人間も、会社というものが、利益を追求するために、儲けるために、事業としてゲームを作って売っているということは重々承知していますし、それに加えて、個人的な思いとしても、やっぱり一発大きく当てて、たくさんボーナスを貰いたいもんだよなぁという本音もあるわけで、天の声に対しては「そりゃそうですよねー」という反応になるわけです。そうなってくると、開発2部全体が「亀忍者に続け!」みたいな空気になるのは、ある意味、必然とも言える当時の時代の流れではあったのです。
 
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