コンパートメント症候群で足を手術して私は車椅子になりました。マンションで一緒に住んでいたQ太郎 (彼氏)が、バレンタインデーの大雪の日に去っていってしまったため、一人暮らしになりました。ヘルパーさんが週3回ほど来てくれたけど、食べることに不自由しました。


お腹が空いて仕方がなかったので、近くのコンビニに買い物に行こうとして、装具を右足につけて外出した。でも、バランスがうまく取れない。よろけてしまった私はアスファルトの地面に崩れ落ちました。横になって倒れている私のそばを年配の女性が通りかかった。立ち止まったけど、その人は私を見下ろして、ただ見下ろしていました。助けるわけでもなく。私は驚いて見上げたけど、その人の顔は無表情で、視線は不気味なほど冷たかった。


悔しくて悲しくて、どうにか立ち上がった私は買い物することを諦めて部屋に戻りました。マンションに戻り、またよろけてしまったので、壁に手をついたら血が付いてしまった。硬いアスファルトで指を怪我していたのです。拭き取ることもめんどくさくなり、ベッドに倒れ込んで休みました。


翌日、マンションに来てくれたヘルパーさんに壁を拭いてくださいと頼みました。そしていつもお決まりのように頼んでいたドトールのミラノサンドセットを買ってくるようにお願いをしました。


そんな私が、老人ホームに行くことになったんだけど、荷造りなどできるはずもなく、引越し業者に電話をして、段ボールを届けてくれるように頼むのが精一杯。だから、小さい頃のアルバムも、大事な洋服も卒業論文も、自分が書いた本ももっていくのを諦めました。自分が書いた本は、偶然、アマゾンで売っていたので、手に入れたのでよかったです。


いろんなことが悔しかったけど、絶対に負けないと、そんな気持ちがむくむくと巻き起こってきたように思います。でも、老人ホームでの暮らしは、年配の人が多すぎて話す人がいません。外出するにしても、足が不自由なのでどこにも行けません。月に一回、精神病院の外来に通うのだけが、唯一の外出でした。希望を失ってしまった私は、だから、死のうと思ったんだけど、こうして生き残ったからには精一杯、生きます。


車椅子だった私が、装具もなしに歩いている事は奇跡に近いと思います。そして今、家族もいないけど、心配してくれている友達がいることを心からありがたく思い、その思いに応えられるような人になりたいと願っています。