首吊り未遂の女の子が、週明けあたり行政の調査が病院に入ると言った時、同室の患者さんの反応は驚くべきものだったようです。なんと、今、自分はとても幸せだから、ここを出たくない。余計な波風は立てて欲しくない。先生にはとても大切にしてもらっている。そんな答え。私はそれを聞いて、他の人に迷惑なことをしてしまったのかなと戸惑いました。結果として、私の友達だけが退院できることになったのでよかったですけど、あんな病院にずっといることを幸せと思う、その心境が理解できなかった。私はそのブラックな病院を、アルカトラズとさえ呼んでいるのですが、よくある刑務所に服役中の囚人が仮釈放を許された際、社会で生きていくことに不安を覚えるがあまり、仮釈放中に命を立つということがあることを思い出しました。


全くもって、洗脳とは恐ろしい。支配されることに慣れてしまう。管理されることに違和感を覚えない。自ら考え、行動することを捨てること、あきらめることが楽に思えてしまうのでしょう。


私の友達はようやく10年以上に及ぶその病院での入院生活にピリオドを打つことができそうです。が、他の患者さんたちは、一生、その病院で過ごすことになってしまいますね。住民票がその病院になってしまっている人も多いと聞きます。でも、そのことに何ら疑問も抱かなくていいのなら、それは幸せと呼べるのかもしれません。考え方は、人、それぞれ。人生も人の数だけあります。幸せと思うか不幸せと思うか、それも人それぞれなのでしょう。


いずれにしても、日本の精神医療の行為、そして、精神患者たち。その妙な需要と供給のバランスに、いろいろと考えさせられてしまいました。