親鸞は「人間はみな平等に悪人である。そのことを自覚することで救われる。」と主張しました。これがいわゆる悪人正機説です。
 
 これを心理学的に考えると、こうなります。

 人間にはだれも心の悪い部分、自分では認めたくない部分があります。
 
 普通、人はそれを抑圧し、自分は善人だと思い込みたがります。
 
 その人にやましい部分があればあるほど、その部分は抑圧され、本人には意識されないようになり、その結果、その人自身が心の病気になるか、あるいはその人自身が善人ぶった行動をして、まわりに迷惑をかけます。
 
 心の中に抑圧された悪の部分が自分や周囲を苦しめるのです。

 親鸞の悪人正機の考えてに立って、自分の悪の部分を素直に見つめることで、その苦しみから人は解放されます。自分も素直になり、周囲ともうまくいきます。

 親鸞はそうした状態を「救われる(往生)」と言ったのです。親鸞からすれば、悪人という自覚がある人を阿弥陀仏が救ってくださるということですが、それを心理学風にアレンジすると上記の解釈になります。

 心理療法としてアレンジするなら、「自分の悪の部分をみつめるワーク」というようなことができるのではないでしょうか。

 自分の悪の部分ばかりみつめているとマイナス思考になるというご意見があるでしょうか。
 
 私は、究極のマイナス思考はプラス思考になると考えます。自分の悪の部分をとことん見つめ直すことで、それが転じて思考がプラスになっていくということはあると思います。
 
 自分の悪の部分をみつめることで、どうしようもない、弱い人間、未熟な人間としての存在である自分に気づき、すべてを捨てて絶対的に阿弥陀仏にすべてを任せる境地にいたります。これが絶対他力の境地です。 
 絶対対力の境地に至れば、それが癒しの境地になります。