「手をかける」の続きです。
長男が1歳くらいの時、私より一回り大きな子供を持つWMとお茶したことがありました。
その時は、何で子育てってこんなに時間も労力も奪われるものだろうと感じていて、
#今は子供3人。当時とは比べ物にならないくらい奪われていますが
「子供っていつになったら手が離れますか?」
と聞いてみると、
その方、うーん、とちょっと困りながら、
「それは、自分がいつまで“子供に手をかけるか”による」
と答えました。
3歳かな、小学校に入ってからかな、のような年齢での答えを予想していた私にとって、これは大きな衝撃で、
そうか、子育てって自分から自発的にやっていき、
自発的に手を引いていくものだ
と思い、
派生して、
受け身ではなく主体的に人生を生きようと思ったのでした。
#ちなみにその方、現在の職業はコーチです
世の親たちは、多分、
「子供に手をかけたい」「もっと世話をしたい」
と思って手をかけているのではなく、
おそらく、“手の離し時”を忘れているのではないか、と思います。
子供の数が減り、時短家電が増えて、今日明日の生活にも困るようなことはなくなった。
世話をする時間、悩む時間もあり、選択肢も増える中で、
自分では感じないうちに、子供が既にできるようになっていることに気付かず、
手を離すのを忘れているのではないか、
と思います。
そして、
「この子はいつまでも手がかかる」
と思っている。
何事も、「増やす」ことより、「減らす」「離す」ことの方が労力が要るのではないでしょうか。
モノも、増やすより減らすことが難しい。
人間関係も、新しく始めるより、どう終わらせるかが難しいこともある。
ビジネスも、広げるより、縮小するほうが難しいかもしれない。
#ビジネスの実体験はありませんが
タスクだって、増やすことは簡単。減らせないよね、なかなか。
いつも、「やらないことリスト」なんて書けないんじゃいかと感じるし。
人生のシフトだって、
私は、「アップ」より「ダウン」の方が圧倒的に難しいのではないかと思うのです。
アップの時は、放っておいても、状況的に加速してアップせざるを得ないことが多い。
それを、自ら考えて、決断し、少しずつダウンしていく方がはるかに難しいのではないかと思うのです。
運転だと、減速しなければならないときの状況の方が危険。
前方が渋滞しているとか、右左折の時とか、要注意状態の時が多い。
#もっとも、運転好きな夫に言わせると、「個人の性格によるけどねー、スピード出す時も事故起こるし」と一蹴されました。。。
こう自分で考えて、結論は出ないけれど、
「ひきどき」「減らしどき」
って、そのタイミングと程度の見極め併せ、自分の踏ん張りどころじゃないのかなぁと思います。