少し前のこと。

ある方に、メッセージを書く機会がありました。



この数年、近しくさせて頂いている方が

大きなチャレンジをするにあたり、

なにか少しでも力を添えたい。


具体的にできることが無いので、

せめて、何かひとこと…と思ったのです。



ーー思ったはいいけれど、さて何を書くか。


なにか寄り添ってくれる言葉があれば……と

漠然と思いつつ、


これは考えても出てこないなと思ったので、

「感じる」に切り替えました。



温かい気持ちとともに、その方をただ感じて、

感じを味わいながら、

どんな言葉が出てくるかな、と少し待ったら、


「すべての時間を楽しむことができます」

という言葉が出てきました。



それが一番いいのかは分からないけれど、

私の頭で考えてひねり出すよりはずっといい!


氣を込めてそれを書かせていただき、

そのかたも、涙しながら受け取ってくださいました。





「感じる」というのは、白黒ハッキリしないから

不確かで、頼りにならないことのように

扱われることもありますが、


生身の人間にピッタリすることは、

きっと「感じる」ことからしか分かりづらいもの。



ふだんは頭で考えて話すことが多い私ですが、

そうやって「感じて話す」ことをやっていったら楽かも…


そして、慣れるごとに「感じる」ちからが磨かれて、

さらに相手のかたにぴったりのことを

感じ取れるようになるのだろうな、と思いました。