ウクライナへのロシアへの侵攻が連日報道されていますが、

ほとんど嘘です。

世界中の主要なマスコミは

プロジェクトモッキンバードという作戦で

闇側(CIA)が支配しています。

 

彼らに都合の良い嘘の報道を毎度してきました。

テレビを見ていると真実がわからなくなります。

新聞も同じです。

 

下記の写真は

2014年5月にウクライナのオデッサで起きました。

 

平和的デモでした。

 

ウクライナの(ネオナチ)武装勢力が

子供、女性、老人までを焼き殺して喜んでいるという

おぞましい事件です。

 

当時、ますゴミはこれをロシアの仕業のように報道していたようです。

 

 

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Burnt to Death in Odessa    rumbleより

オデッサで生きたまま焼かれる  2014年5月

 

オデッサの普通の住民が、2014年5月に、キエフのような混乱が続けば、人々が貧しくなっていくことを悟って、政府に平和的なデモをしていました。

 

その前に、キエフのユーロマイダンの反乱がありました。2014年2月。ウクライナのヴィクトル・ヤクノヴィッチ大統領が、ウクライナとEUの連合に関する協定に署名することを拒否したため、大規模な抗議活動が起きて、それをネオナでの武装勢力に乗っ取られて、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチはロシアに逃亡したのです。平和的とは程遠く、大統領の命を狙ったクーデターでした。

(アメリカのDS政治家も関与していると推測できます)

 

その後、米国とEUは、新ウクライナ政府を承認します。

そして、ウクライナのNATO加盟への動きになります。

 

しかし、ウクライナ国民の生活は良くならず、経済は下落します。

また、ウクライナのロシア語圏の都市ではロシア語が話されてきましたが、子供たちはロシア語を話すことを禁じられ、すべてをウクライナ語で勉強させられるようになりました。

 

2014年5月2日 反ユーロ・メイデンとメイデンの参加者による大規模な衝突がオデッサの市街地で始まります。

 

現場にいたウクライナ人 アレクサンダーさんのレポートです。

 

アンドレイ・パルビー(Parubiy) はキエフのユーロメイダンに積極的に参加していたネオ・ナチ。

彼は胴体防護具と武器を戦士に配布するよう命じていました。よく訓練された(ネオナチ)民族主義者が、ウクライナ全土からバスや列車で、5月にオデッサに到着しました。

 

「国家に栄光あれ!敵には死を!」

「囲め、火を付けろ!」

 

 武装した群衆が、市街地から労働組合ビルに向かってきていると言われ、私たちは、彼らと対峙できるような状況ではなかったのです。私は、近くにいた40歳くらいの女性と17歳くらいの女の子を説得して、その場を離れさせようとしました。多くの人は、舗装をハンマーで叩き、袋に石を集めていた。労働組合の建物内に引きずり込み、建物の中から身を守れるようにしたのです。

  私は、子連れの母親には、「こんな小石で機関銃と戦えるわけがない」「子供を連れて家に帰りなさい」と言ったのです。すると、ある者は去り、ある者は留まりました。

  70歳くらいの年寄りが叫び始めたのです。「私たちは帰らない。我々は1941年にナチスと戦った。そして今、我々はオデッサを守る」と。女性や子供、年配者がいなければ、私はその場を離れていたでしょう。しかし、建物の中に入ってきた10~15歳の子供たちを見たとき、私は皆と一緒に中に入っていきました。

 すると、武装勢力により建物には火炎瓶が投げ込まれた。

そして発砲して、火事になったんです。

 私たちは、花瓶や灰皿、お皿、コーヒー缶などあるだけのもので、武装勢力が建物に近づくのを防ぐために、窓から投げたのですが、彼らは私たちに発砲し始めたのです。窓から身を乗り出した者は、戦闘用の銃で撃たれました。銃や猟銃で撃ってきたのです。ゴムタイヤを投げ込んだり、火炎瓶を投げ込んだりして、すぐに最初の火災が起きましたが、消火栓に水が残っていたので消火することができました。

しかし、5分後には完全に断水し、建物の電源も切れ、水も出なくなったのです。

そして、彼らは大量の火炎瓶を投入し、再び火をつけた。黒い煙......煙で窒息しそうでした。

窓から人が落ちるたびに、彼らは手を叩いて喜んだのです。

(考えられません)

建物の中で死ぬものもいれば、何人かは窓から飛び出して、コンクリートの上に墜落し、さらに、そうした負傷者を彼らはバットや鉄棒やバットで彼らを仕留めた。さらに、

 「ひざまずけ、このアマ!ひざまずけ!」と怒鳴られ、

手足を折られた人々は、無理矢理にひざまずかされた。

 

警察は、クリコヴォの現場から200メートル離れたところのきていたが、何もしなかった。関与してはいけないと命令が出ていたのだ推測されます。
 

武装勢力は、生存者たちを探しに来るでしょう。地獄のようでした。

人々は、床や廊下に横たわっていた。

黒焦げのススと骨まで焼けただれている状態。

一酸化炭素中毒で30人が死亡、 8人が窓から身を投げたので38人が死亡。 労働組合ビルで4人が死亡 。

 

5階で22歳の少女クリスティーナはもう亡くなっていた。私は彼女を知っていて、1年前に子供の日のお祝いを企画するのを手伝ってくれたんだ。

 

アレクサンダーは、消防士に助けられ、建物から出ることができた。

仲間のオレグは他の生存者とともに逮捕された。

警察は、建物を襲撃して、火をつけたり、殺人を犯した者たちを拘束しなかった。

 

2日後、"彼らを解放する""彼らを解放する"。

 5月2日、1000人のオデッサの人たちが市警を襲撃し、不当に拘束された逮捕者を解放した。

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」

「英雄たち」と解放された人たちを称えた。

 

公式データによると、2014年5月2日のオデッサのイベントの間に、彼らは48人が死亡し、そのうちの7人の女性と1人の未成年。

死因は、銃殺、中毒、火傷ショック、落下による負傷。』

 

 

アレクサンダーは、2014年5月2日に警察の不作為を理由にウクライナ当局を訴えたが、請求は棄却された。

 

2017年9月1日、ウクライナとEUの連合協定が完全に発効した。

ウクライナの経済は悪化し国は滅亡に追い込まれる。

 

ゼレンスキー大統領はオデッサを5回訪問しているが、亡くなったオデッサ人の追悼するため"クリコボ・フィールド "には行かなかった。

 

ボナンザメディア2021 

ドキュメンタリー「Burnt Alive」より

 

オデッサで命を落とした一般人

 

 

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ロシアでは、毎年、ウクライナ人に対する追悼式典が開かれますが、ウクライナの大統領は一度もオデッサ人の追悼のため、足を運んでいないのです。

 

 

アンドレイ・パルビー(Parubiy) 

 

大量殺害を主導した人たちが直後に

ウクライナの要職についたのです。

 

日本政府はこれらのリーダーに寄付を与えようとしています。

 

 

警察もこれらの政治家も人々が殺害されるのを主導あるいは黙認したのです。なんともひどい話です。

 

そして、大量殺戮はロシア側がしたように報道します。

 

また、こうした武装勢力はジョージソロスが資金援助しています。ANTIFAとかも同じです。