この日は命日になりかけた日です。

記録としてブログに書きます!


(過去にも書いたと思ったけど、漁ってもなかった)



2002年8月21日、高校三年生の夏休み!!


彼氏のサッカーの試合を見に高校に向かって自転車をかっ飛ばしていました。


環七を走ろうか、裏道を行こうか…


この日はどっちにしようか悩みました。

普段は悩まないのに…


なぜか環七に決めた私。



ツインテールでプーさんのボンボンを付け、

カゴにはキティーちゃんのビニールバッグ。(激かわ)


Tシャツにハーフパンツ、ビーサン。



彼氏の試合見に行く格好ではないと今になると思いますww



待ち合わせていた友達からのメールが来て、

自転車な乗りながらガラケーでメールの返信をしました。



時間にしたらほんの数分だと思います。



歩道をまたがって工場に入ってくる1台のトラックに気付かなくて、そのまま自転車で巻き込まれました。


この時、キャーとか可愛い叫び声ではなく、

ぎゃーと、私から出たのかっていう声で叫んだことをとても覚えています。笑





目が覚めたのは、野次馬の「大丈夫か?!」と言う声。


あ、あのまま巻き込まれたんだと思い出し、

いじっていたガラケーは、手から飛んでて取れない位置に…



トラックの下で目が覚めたので、日陰にはなってるけど…(真夏だからね)


コンクリートが暑くて、でも動けなくて、

なんとか顔を少し動かすとほっぺがねちゃっとして…

血が出てるとすぐ分かりました。




野次馬「大丈夫かー?小学生かー?」


あゆみ「高校生ですー」


こんな格好だからめちゃくちゃ小学生に間違われて恥ずかしかったです…笑



意思がハッキリしていたし、なぜかしゃべらないと死ぬと思っていた私はめちゃくちゃペラペラしゃべりまくり…

なぜか痛みは全くありません。


救急車が来たときも、救急隊にトラックの下で家には弟がいること、お母さんが働いている所の電話番号を教えて…



救急隊が私をトラック下から出せないと言っているのも聞き、足に自転車が絡んで居るからと説明され、足の間で自転車をチェーンソーでカットすると…


意識があるのでめちゃくちゃ怖い。

ドキドキな時間でした。


無事自転車は切断され足が少し自由に。



でも自分ではとても動けず(痛くないのに体が動かない)



担架をトラック下で設置され、

なんとか出れた私。


あっ!あそこにケータイが飛んだので取ってください。とちゃんとガラケー回収。


うつ伏せで救急車に乗せられ、


さぁ、病院行くんだろ?

はやく…


と思ったものの、全然出発せず。



受け入れてくれる病院を探してると…


初めて知ったけど病院が断ったりするのかよ!とびっくりしましたw


その間に友達や、家族に電話が行き…


しっかり者の弟は、家に電話が来た時ウソの話だと思ったようで、1回切られ…笑

私のケータイに電話してきて、後ろの救急車の音で本当だと信じてくれ、ママの仕事場にも電話が行き、(私は話してないけど)



そんなこんなで決まった病院が、

亀有で事故ったのに、尾久にある病院…



どこか分からなかったけど町屋の方と説明されました。


遠いなー。


救急車の中でもしゃべらなきゃ死ぬと思っている私はベラベラおしゃべり。

この頃からマシンガンだったもので…


救急隊の方はうるせーなーこの子と思ったと思いますw



痛くないけど、腕とかだるさがすごくて、救急隊の人に腕を交互に持ってもらってました…優しくありがとうございました。



病院に着いたら、そのまま処置室に連れて行かれ…


多分その時にはママが先に病院着いてて、横目にママが見えたけどママ泣いてて、ごめんね…って思いながら処置室へ。

(あとから聞いた話、電話で15トントラックに巻き込まれたと言われたらしい…親戚一同みんな死んだと思ったらしいよ)


意識あるまま、服を脱がされw

というか、服を切られ、、、


体を動かせないから切るしかない、いい?


と確認されたのて、

お気に入りなんです、Tシャツ…と言っても

ごめんねと言われてシャーっとハサミで切られました…泣



ABABで買った上下3000円の服だけどさ!!!笑



麻酔も痛くない、縫うのも痛くない。

唯一痛かったのは麻酔してない擦り傷をホースでジャバジャバ洗われたことかな?



多分朝9時とかの事故なのに検査とか処置が終わったのは夕方…

ヘロヘロな私。



なにより真夏だったので救急車のときから喉乾いてて、救急車で喉乾いたって言ったら処置終わったらと言われてめちゃくちゃ頑張ったのに、今日は水分は飲めません。


うがいならしていいよとの事…


騙された!!!!!




ICUに移動…


私が意識あって痛みがないだけに、雰囲気が暗くて今にも亡くなりそうな方がいて、なぜ私ここに…と思った。


家族しか入れない、親戚ダメと言われて、駆けつけた親戚がクレーム…娘のようなもんなんだ!と粘り勝ちしたようで中に入ってくる。笑


離婚していたけど、パパも来てくれたよ!

パパっ子だったのでとても嬉しかった思い出…!!



結果、その日にわかった私の傷は、

目の充血、呼吸が止まったときのチアノーゼが顔に出ていて、ほっぺの大きな傷、左腕脱臼、左腕骨折、左太もも13針縫う、左弁慶らへん4針?縫う、肺気胸、首にタイヤの後(首ギブス)、擦り傷…


こんなもんかな?


初日、歩けないのでトイレはおまる…

恥ずかしかった…



翌日、トイレに無事行けて見た顔が酷かったー!!

顔が酷いからショック受けちゃうからって妹はお見舞いに連れて来させて貰えなかったらしい…笑



この事故、入院1ヶ月と言われて絶望的。

しかし!


集中治療室からは3日で脱出!!!


一般病棟から1週間で退院!!!!!



8月31日くらいに退院したと思う!



一般病棟に入院中は、パパ、ママ、親戚、担任の先生、彼氏、友達、後輩


いっぱいの人が来てくれました💓


この時が一番友達いたんじゃないかな?笑



パパがタンポポとプッチモニとhiroのアルバム買ってくれてウォークマンで聞いてた入院生活。


親戚からテレカいっぱいもらい、彼氏と電話したり…


退屈で寝れなくて、朝方までナースステーションに居座ったりしてた。(迷惑ww)




全身負傷だから、色んな科の先生に見てもらい、全部の先生がokしたら退院していいと言われ積極的に先生に帰りたいアピール!私平気ですアピール!!



ほっぺの傷は後が残るからかさぶた剥がしちゃだめって言われてて大切にかさぶたと過ごしてたのに、女医がこんなの取って平気よってベリって取られ、女の先生怖い…と思いました。



まぁ、そんなこんなでなんとか帰り、病院に通うのはタクシーに…

VIP。笑


9月1日始業式。

学校はまだ行けないと言われ、ママは仕事、私はお留守番…



…行けんだろ、学校。家退屈。


タクシーを呼び学校へ…

(松葉杖)

学校で注目の的に!!笑


のちにママに怒られる。




その後も晴れの日は松葉杖でバスに乗り学校へ、

雨の日は松葉杖付けないからお休み…




事故した運転手さんも家にお見舞いに来て、

綺麗な坊主頭で、もしかして私の事故で坊主に…?


私がケータイ弄ってたせいで事故ったのですみませんとあやまりました。


もちろんあちらからも申し訳ないほどの謝罪がありました。



切断した自転車ですが、亀有警察にありますと言われ見に行き、処分していいか聞かれ処分してもらいましたw



19年たった今でもこんだけ鮮明に覚えていて、

語れるほどの自分の脳の記憶に感動します。


他のことはすぐわすれるのに…




ここから家族、先生、みんながゆるくなり、

就職しなくていい、卒業だけ目指そう。

と高校を卒業後、フリーターへ。



アイドルを始めれば、

あの事故があってからあゆみが歌って踊ってるのを見ると泣きそうになるとパパ…


アイドル活動をよく見に来てくれました☺️



事故があったから自由に生きて良くなったみたいですwじゃなきゃアイドルもできなかったかも!!!



そう思うといつまでも親に元気な姿を見せていかなければいけないなと思うね🙆‍♀️




最後に、歩きスマホや車でスマホ、自転車でスマホ…



ながらスマホ、だめ!絶対。


ってみんなに言いたい。笑



写真は事故って2日後。(親戚がこれも思い出って撮ってくれたよ)