石原慎太郎『スパルタ教育』より

http://hirorin.otaden.jp/e142284.html  山本弘さんのブログ



 12月6日(月)、中野ZERO小ホールで開かれた「『非実在青少年規制』改メ『非実在犯罪規制』へ、都条例改正案の問題点は払拭されたのか?」というイベントに出席してきた。
 たいして宣伝をしたわけでもないのに、開場前から中野ZEROの前は長蛇の列。540人入れるホールは満席。急遽、入れない人は隣りの会議室やロビーにてモニターで視聴していただくことになった。
 結局、会場に入れた人は約850人。入れずに帰った人も含めると、約1500人が来られたそうである。ありがとうございます。
 また、ニコ動の生中継の視聴者は7万人を超えたそうだ。この問題への関心の深さがうかがえる。

 イベントの内容については、すでに多くの方が日記やツィッターで紹介されているが、ここであらためて、僕が紹介した石原慎太郎『スパルタ教育』(光文社・1969年)という本について紹介したい。なお、この本は原田実さんからお借りしたもの。原田さん、ありがとうございます。

 1969年に出版されたこの本、裏表紙の推薦文は三島由紀夫(この翌年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて割腹自殺する)。当時、大ベストセラーになり、多くの家庭にこの本が置かれていた。



 ご覧の通り、表紙からして「非実在青少年」のヌードである(笑)。85ページの「母親は、子どものオチンチンの成長を讃えよ」というイラストも強烈だ。植木不等式氏も『トンデモ本の世界R』(太田出版)で「実を言うと、、一番オソロしかったのは、このページである」「私と同世代の皆さんで、このページを深く記憶している人、結構いるんじゃないかな」と書いている。



 内容はというと、強い子供に育てるための100ヶ条が書かれている。「12 子どもをなぐることを恐れるな」というのは本のタイトルからして当然としても、

「34 いじめっ子に育てよ」
「39 子どもに酒を禁じるな」
「60 子どもに、戦争は悪いことだと教えるな」
「64 おじぎのしかたを教えるな」
「75 よその子にケガをさせても、親があやまりにいくな」
「81 先生を敬わせるな」

 などなど、今読んでもかなり過激で、反社会的な提言が多い。その過激なところが受けたのだろうと思う。今、PTAの前で、これと同じことを言えるんですかねえ、石原さん。

 また、「50 友だちが一人もいないことをほめてやれ」「54 子どもが夢中になっているときに、就寝を強制するな」「55 子どもの部屋は、足の踏み場がなくても整理するな」などというのは、現代のオタクのことを書いているようにも読めてしまって、ちょっと微笑ましい。

 ちなみに100項目は「父親は夭折することが理想である」というもの。子供が強くなるためには父親は早く死ななければならないと説いている。石原さん、これ書いてから41年経ってもまだ生きてますけどね(笑)。


 さて、僕が会場で読み上げたのは、次の3項目である。


> 23 ヌード画を隠すな


> わたくしの家庭では、妻や、母親は反対するが、わたくしは子どもたちの前でヌード写真の氾濫した雑誌を隠さぬことにしている。

>(中略)しょせん子どもたちは、いつかの時点でナマの裸を知り、裸の肉体の交渉がなんであるかを知らなくてはならない。それを不自然に隠すことのほうがどのように悪い想像力を育て、悪い衝動を子どもたちのなかに培うかわからない。
> わたくしが子どものころ、父親の書斎に当時珍しい世界の裸体画の美術全集があった。意識してか、あるいは不注意でか、家のものも、わたくしたちにその美術書を隠さなかった。わたくしはいつも隠れて、美術全集を書だなから引き出しては開き、その裸体に見入った。
> 現今の子どもは労せずしてそれができるが、いずれにしても幼児のときに見た裸体画の記憶は、子どもに決して不健康ではない。さまざまな想像と情操を育む。
(64-65ページ)

> 25 本を、読んでよいものとわるいものに分けるな

> 活字というものは、そこに書かれた事物以外の想像力というものを人間に培ってくれる力を持っている。だから子どもがどんな本を読んでいようと、親は気にする必要はない。
(中略)

> 確かに、その人間の生涯的な事業のきっかけが、なににあるかを知るものは神のみである。それゆえにも、人間の想像をこえた啓示のきっかけを埋蔵している本を、親がそのわずかな人生経験で、いい本、悪い本と分けて与えるのは、人間として僭越というものではないか。

> 想像力というものは、現実にないものを考える力であって、そうした作業が、いったい現実にどんなささやかなものを触媒として行なわれるかは、だれにも想像がつかない。であるがゆえに、人間の想像力を培う糧である読書を、なにをもってよしとし、なにをもって悪とするかほど、根拠のないものはない。そのよしあしに、親が陳腐で通俗的な道徳をもちこむほど、子どもの大きな将来性をスポイルすることはない。

(68-69ページ)

> 46 子どもの不良性の芽をつむな

> 子どもに不良性があるということと、子どもが不良であるということとは、まったく違う。それを見きわめるのが親の義務であり、子どものほんとうの理解につながる。
(中略。織田信長や水戸黄門が少年時代には不良だったという例を挙げて)
> 子どもの不良性は、単に、それが反道徳ということで終わることもあるが、しかし同時に道徳をこえた既成の秩序、既成の価値への反逆をはぐくみ、従来の文明文化の要素をくつがえして変える大きな仕事を、将来子どもがするための素地にもなる。
(中略)
> 子どもの不良性を、親がけしかけて育てる必要はないが、しかし、単にそれらを既成の道徳を踏まえて恐れ、根元からその芽をつみ取ることは、子どもだけではなく、人間の社会における大きな可能性を、愚かに殺すことでしかない。
(114-115ページ)

 いやー、いいこと言ってるじゃないですか、石原さん!
 無論、石原氏はこの文章を書く際、エロマンガを念頭に置いてはいなかっただろうが、これはマンガにもそのまま置き換えられることは言うまでもあるまい。
 僕が今回の改正案でいちばん腹が立ったのは、このくだりである。

>二 漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)」と、露骨にマンガとアニメとゲームをターゲットにしてきている。小説と実写映画は対象外だというのだ。
 言うまでもないことだが、近親相姦や強姦や未成年とのセックスを描いた小説なんて山ほどある。当然、その映画化作品もある。前に紹介した石原慎太郎「完全な遊戯」は女性を拉致監禁して強姦したうえに殺してしまうという話だったし、「処刑の部屋」にも薬を使って女性を眠らせ、強姦するシーンがある。
「処刑の部屋」は昭和31年に映画化されているが、当時、それを模倣した犯罪も起きたそうである。

 少年犯罪データベース
http://kangaeru.s59.xrea.com/31.htm

 しかし、この修正案を作った人間の考えでは、それらは小説や実写映画だからかまわないというのだ。悪いのはマンガとアニメとゲームなのだと。
 何という御都合主義だろうか。これが石原氏の言う「陳腐で通俗的な道徳」以外の何だというのだ。