【先輩イタリアの教訓に日本は学べるか?】
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先進国においても 巨額の財政赤字問題に苦しんだ国々は少なくありません。しかし 1980年 代のアメリカやイギリスのみならず 先進各国は 財政赤字のリスクをつみ取るために 大胆に行財政を改革してきました。極めて厳しい財政規律を自ら課して  財政赤字問題を克服しようと努力してきたのです。

たとえば 財政赤字の劣等性だったイタリアの例を見て行きましょう。

1980 年代のイタリアは 財政内容を見る限り完全な『落第生』でした。
『イタリアはG7から外せ』という陰口すら叩かれたものです。
イタリアは  1980年代初めの放漫財政の結果、EUメンバーの中でも突出した債務残高を抱えるようになりました。年金や医療給付、失業保険などの社会保障費が増大 し、構造的な歳入欠陥が生じるようになっていたのです。

実際 1980年代は平均して イタリアの単年度の財政赤字がGDPの11%を超 え、(ちなみに2004年の日本は 単年度の財政赤字がGDPの14%を超えている。)
10年間で公債残高の規模は対GDP比で2倍に膨らみまし た。ちなみに、1996年における公債残高の比率は134%近くに達しています。
(ちなみに2005年度の日本も 公債残高は対GDPの2倍に膨 らんでいます。)

1990年代のイタリアは 本当に落第生だったのです。

ところが近年の数字を見ると イタリアの財政赤 字のフローがGDPの2~3%に落ち着き残高ベースで見ても117%にまで低下してきました。これは目覚しい改善です。

もっとも そのレ ベルに到るまでに イタリアはかなり大胆な財政改革を推進してきました。
まずは、1991年に14兆2000億リラ(日本円にして約5兆円)の財 政赤字削減を実施します。公務員の賃金を引き締め 個別間接税を実施しました。さらに 法人資産に対するキャピタルゲイン課税も行い、年金や健康保険など の社会保障費も引き上げます。

もっとも これだけの削減案では不十分という評価が下ってしまいました。
マーケットではイタリアの 財政赤字問題に対する疑念を強めています。
引き金となったのは 1992年6月2日に起こった『デンマークショック』でした。
これを見た イタリア為替相場は、財政赤字問題に対する長年の懸念を背景に イタリアリラを売り浴びせます。イタリアリラは大幅に安くなり 9月12日~13日には変 動幅の下限に到達します。そこでイタリアは相場水準をさらに7%切り下げたのですが イタリアリアの売り浴びせの流れは止まりません。イタリア政府は我慢 しきれずに 9月17日 為替相場を安定させるために設けられていたERMという緩やかな固定相場制の仕組みから離脱してしまうのです。
これで  イタリアは本気にならざるを得なくなりました。
リラ安の中 国債金利が高騰していったので 利払いがかさみ 財政の膨張が止まらなくなってしまっ たからです。

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そこで イタリア政府は 93年度予算において 93兆リラ(日本円にして約33兆円!!!)もの財 政赤字削減を打ち出しました。
93年度の【歳出面】では 
①実質賃金スライド制を廃止して年金支出を削減し 
②早期退職金年金給 付を1年間凍結するとともに 
③老齢年金の年金給付開始年齢を65歳まで段階的に引き上げました。
④公務員賃金の引き上げを凍結しました し 
⑤地方分権を推し進めることによって国における教育費も削減しました。
⑥さらに医療無料制度を縮小し 自己負担を増やしています。
93 年度の【歳入面】では 
①企業資産や固定資産税 さらに嗜好品に対する課税を強化するだけではなく 
②諸種の所得控除を廃止しました。
③ 脱税摘発も強化しています。
この結果 久しぶりに財政赤字の絶対額が減少に転じたのです。

それでも イタリアの赤字削減への手綱 は緩みません。

イタリアの94年度予算においては 
【歳出面】では
①公共投資を削減して 地方公共団体や公営企業への支 援を抑えました。
②公務員年金を一部カットし 
③障害年金における自動増額を廃止します。
④薬価基準を改正して医療支出を削減す るとともに 
⑤公務員給与を一段と削減しましたし 新規採用を原則的に中止しました。
【歳入面】では 
①所得税控除を整理し 
② 付加価値税やガソリン税などの間接税を増税しています。
③イタリアは年金制度改革を打ち出して 早期退職年金給付制度を廃止するとともに年金給付 額を削減しました。受給資格を得るための拠出期間を延長し 物価スライドも中止。
⑤無料医療における資格要件を厳格化し 小規模の病院を閉鎖・売 却することにより 医療費を削減しました。
⑥所得税を縮小し 固定資産税を増税するほか 
⑦政府が所有する企業を民営化することにより  歳入面を強化しました。

イタリアの国営企業の民営化は1991年末から本格化したのですが イタリア信用銀行 イタリア動産金庫 全国保 険機構などの多くの国家持株会社の売却によって 92年~94年には17兆円リラ(日本円にして約6兆円)を上回る収入を得ました。

96 年度予算においても イタリアの行財政改革の勢いはとまりませんでした。
【歳入面】では
①脱税の摘発をさらに強化し 
②所得税を 増税
③社会保険料を引き上げるほか 
④印税氏や物品税そして宝くじ課徴金などを増税し 
⑤企業資産特別税を延長しました。

強 烈だったのは97年度予算でした。
【歳出面】では
①地方自治体に課税自主権を付与する代わりに 国からの支援を大幅に削除し 
② 薬価マージンの引き下げや診療医に関する基準を創設することにより 薬価支出を抑制。
③年金の不正受給に関する取締りを強化し 
⑤公務員 年金の給付を引き下げるとともに 
⑥福祉給付も削減
⑦公務員の人件費もさらに一段削減
⑧支出管理局を一部統合するなどして効率化 でコストを下げました。
【歳入面】では 
①1.5~3.5%の累進所得税を課したり 
②給与以外の所得や宝くじに対する課税を強 化しています。
③社会保険料も引き上げました。

このような財政再建のためにさまざまな努力を毎年積み重ね それが実を結んで よ うやくイタリアは財政危機を脱することができたのです。
イタリアの財政赤字は 単年度の国債発行額のフローがGDPの2~3%に落ち着き 公債発 行残高ベースでも GDPの117%にまで低下したのです。(日本の単年度の新規国債発行額が10~15兆円 発行残高ベースで600兆円程度になる日は 来るでしょうのでしょうか。)

1980年代から1990年初頭まで『世界の財政赤字の一番の落第生』だったイタリアで 1992年から 1997年の5年間に及ぶ財政破綻の処理法は 遍く(あまねく)あらゆる階層に 遍く(あまねく)あらゆる社会保障費に 大変厳しいメスを入れました。今 の日本にとっては大変参考になると思います。

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イタリアの財政改革の端緒となったのは『デンマーク・ショック』を引 き金とした変動相場制からの離脱でした。

そして そのきっかけになったのは 自国民によるキャピタルフライトだったのです。

イ タリアは恒常的な貯蓄過剰でしたし イタリア国債を買っていたのはほとんどがイタリア人でした。その意味では 『どのような状況になっても 財政赤字は自 国内の貯蓄で賄われるはずだから大丈夫だ』という楽観論も一部にはありました。

しかし イタリア人は 国家財政がいよいよ危ないという状 況になったとき 自国の通貨を捨てて 自国通貨で成り立っている金融資産ではなく 外貨で成り立っている海外の金融資産へと逃避しようとしました。

つ まり 自国民によるキャピタルフライトが発生したのです。

キャピタルフライトの結果 イタリアリラは大幅に下落します。

1 ドル1,100リラ近辺だった為替相場は 1800リラの水準まで一挙に下落してゆきます。(中略) 
公定歩合を15%に引き上げます。(中略)
そ ういう中で タリア国債の金利は14%程度にまで跳ね上がります。
財政赤字は急速に膨張しました。

それを見たイタリア政府は 行 財政改革を断行しなければならないという腹をくくって 以上Part1 Part2で見てきたような 行財政の激しい建て直しに まっしぐらに奔走したわ けです。