伊勢遷宮が(話題にする人の間で)話題になっていますが、

570億円かかるそうです。[130923朝日]

 これに対して福1の“遮蔽壁”費用は470億円だそうです。[130923東京]

 たまたま同じ日に目についたので気になりました。

 人間より神様のほうが大事?

 いや、実際はもっと生臭い話でしょう。

 前者の支払い主体は:「明治以降は国の運営に。戦後は、宗教法人になった

伊勢神宮が自己資金に加え、全国から寄付金を集めている」

 (因みに後者は国費。)

 未曾有の事故(事件)を東電の重役や過去から現在にいたるまでの

原発事故責任者の生活費は削らず、生活が苦しい人からは

消費税を余計にとる、年金を減らす、そこまでするなら

宗教法人から税金をとればいいのに。

 宗教の自由、思想の自由の一環とみれば、保障してもいいのかも

しれない。

が、そうだとしても①A宗教法人からは税金をとり、B宗教法人からはとらない、

②誰からもとらないののに宗教法人からだけとる、

のどちらかならば自由の侵害になるでしょうが、

一律に宗教法人からとらないというのはいわゆる逆差別では?

 

 もっというと伊勢神宮って?

 

 それからさらに「神」とは?

 

 「虚空と君のあいだに」さんによると:

神という漢字は案外新しくて、

明治あたりから使われるようになったに過ぎず、それまでは

中国にせよそれから日本にせよ、畏敬すべき存在を天と

呼んでいた。

 神という字は、しめすへんと甲という字を組み合わせている。

 しめすへんは、昔は「示」と書いた。これはお供えなどをする台のこと。

 甲は雷。

 神無月という言葉を考えよ。

 神がいないというのは、神がいるならありえない。

 出雲に集まるからなどではない。

 10月になると雷が鳴らなくなるからだ。


 先日ある駅を通りかかったら●●神社の祭礼のようで、

臨時の小屋ができていて、小父さんたちが集まって

お囃子(の録音)を流したりしていました。このとき

思い出した言葉が、神無月と同様あれ?という言葉。

それは神主。人間が神の主になるということはありえないですよね。

「虚空と君のあいだに」さんが書いていらっしゃるように

台(「さんぼう」というのかしら)か何かのことなら、

人間が所有しても全然おかしくない。


 拍手<かしわで>をうって敬虔な気持になる、その気持に

水を挿すようですが、長い長い巨大なトリックを一つ一つ解いて

いかないと、99%は搾<しぼ>られる一方ではないでしょうか。

 

 何度も書きますが、60年代に原発を導入したとき、16万キロワット

だったかの、今から見れば小さい原発の事故で、その擁する

放射性廃棄物のほんの数%が漏れたというスィミュレーションをした、

その損害額が、晩発生障害に対する賠償額を無視してなお

国家予算の2倍以上だった。

 

 神様には古いお家でがまんしていただくべきだったのでは?

 せめて神主さんたちに税金を払っていただきたい。


 そうすると遷宮でもうかる観光業者の収入が減るでしょう。

が、原発事件後家をなくした人が10万以上いて、

かつ危ないプールを載せた原発が4基も under control 状態に

ない状況です。

 たまたま例に遷宮を挙げましたが、削るべきこ出費はたくさん

ある。享楽娯楽趣味は事故前そのままに、

少数の人がずっと犠牲であり続け、またそのことによって砂上の楼閣の

砂がどんどん崩れていきつつある。