第四次戦犯指名 [編集 ]
1945年12月6日に逮捕命令(9名)。国際検察局 (IPS)が追加逮捕。
近衛文麿 (12月16日に自殺)、酒井忠正 、大河内正敏 、緒方竹虎 、大達茂雄 、伍堂卓雄 、須磨弥吉郎
1946年3月16日に逮捕命令(1名)
1946年4月7日に逮捕命令(1名)
1946年4月29日に逮捕命令(2名)
その他 [編集 ]
板垣征四郎 、木村兵太郎 、武藤章 は外地で逮捕。橋本欣五郎 は国内で単独で逮捕。
※裁判を免れたA級戦犯被指定者 [編集 ]中の不起訴により釈放された者 [編集 ]
青木一男 、安倍源基 、阿部信行 、天羽英二 、鮎川義介 、安藤紀三郎 、石原広一郎 、
岩村通世 、岸信介 、葛生能世 、児玉誉士夫 、後藤文夫 、笹川良一 、正力松太郎 、
須磨弥吉郎 、高橋三吉 、多田駿 、谷正之 、寺島健 、梨本宮守正王 、西尾寿造 、
彼らの中には岸のように第二次世界大戦後の日本社会の有力者になったり、それぞれの分野で相応に一定の社会的地位を築いたりした者もいたが、その活動には常にアメリカからの監視や東京裁判の影があったのではないかと保阪正康 は指摘している。分かりやすく言うと「お前たちの罪は許そう。しかし、決してお前自身を許したわけではない。もし、また背くようなことがあったら東京裁判の(絞首刑となった)7人を思い出すがいい」との無言の圧力だったという[6] 。アメリカ合衆国政府が機密指定を解除したCIA の文書を調査したティム・ワイナーの著書である「CIA秘録」において、岸信介や正力松太郎はCIAの協力者としてCIAから資金提供を受けていたことが確認された。岸や笹川のように、不起訴でありながら「A級戦犯」というレッテルを貼られ続けた者もおり、安保騒動 の背景にも岸に対する「戦犯でありながら」という左派の反感があった(起訴されて有罪になった重光や賀屋には同様の現象はみられなかった)。