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 一休禅師の伝記を内容とする“講談”が叔父宙<ひろし>の本棚にあった。

 よくある“頓知”の類も載っていたが、それにしてもその意味が書かれて

あった。和尚の大事にしている茶器だったか、その一つを同僚が割って

しまったとみると、他のものも次々に割ったといったエピソード。それも

そのエピソードで終わるのではなく、生あるものは死す、形あるものは

滅すといった定言が付してあった。

 花を、こちらが背になるように供えたという話もあった。和尚に叱られると

誰に向かって供えるのか、仏様のためではないのか、だから仏様に向けて

供えた、そのどこがわるいかと和尚をやりこめるというエピソードもあった。

 長じて多くの人に敬われる高僧となってからは檀家に正月に呼ばれて

こんな句を詠んだという。

 ――門松は冥土の旅の一里塚