メンタルヘルス担当の産業医と会ってきた。
「なんとか予防、未然に死を免れることはできなかったか。」と聞いた。
「寿命だ。」と言われた。
「親孝行できたか自信がない。」と言った。
「本当の親孝行とは、生前にすることではない。
今を楽しく生き生きと生活していることが親孝行だ。」と。
解決志向ブリーフセラピーに近いアプローチだった。
悲嘆に暮れるのではなく、新たな一歩を・・と思ったが、
体は正直だった。
寝込んでしまった。
メンタルヘルス担当の産業医と会ってきた。
「なんとか予防、未然に死を免れることはできなかったか。」と聞いた。
「寿命だ。」と言われた。
「親孝行できたか自信がない。」と言った。
「本当の親孝行とは、生前にすることではない。
今を楽しく生き生きと生活していることが親孝行だ。」と。
解決志向ブリーフセラピーに近いアプローチだった。
悲嘆に暮れるのではなく、新たな一歩を・・と思ったが、
体は正直だった。
寝込んでしまった。
当日の朝
母の生い立ちスライドを作った。
友人の御尊父の葬儀で流していたのが、とても印象に残っていた。
誕生日のお祝いで作ったそうだ。
母の今年の誕生日用に作ろうと思っていた。
だから研究論文を書き上げたら取り組もうと思っていた。
しかし、その日が予定より早く来てしまった。
前日、生い立ちのプロフィールを作り上げて力、尽きてしまった。
ネットで調べて、見よう見まねで作り始めた。
アルバムを紐解いたが、
あまり昔の物がなかった。
しかも、時間に制限がある。
そうしたら子どもが手伝ってくれた。
最後は、完全にお任せに。
BGMは、小田和正の「言葉にできない」にした。
子どもに親孝行をしてもらった。
遺品を整理していたら見つかった。
「エンディングノート」
しかし、
白紙だった。
だが、
別紙にメモ書きしてあった。
延命治療はしない。
尊厳死協会の連絡先。
献体を希望。
家族葬。
散骨などなど。
葬儀になるべくお金をかけない配慮を感じた。
生前、それに近いことは話していた。
家族葬にした。
そうしたら葬儀屋さんに問い合わせが殺到した。
どうしても最後のお別れがしたい。
近所を回った。
同じ事を言われた。
一昨日急遽変更した。
お通夜に、お焼香をいただけるようにした。
地域の方が座れるように40席用意してもらった。
民生委員、町内会長をしていた。
昨晩、母の生い立ちを写真入りで作った。
朝、100枚プリントアウトした。
残っていなかった。
お通夜が終わるまで学友、心友、深友が20人近く残っていてくれた。
20代の時に出会った友人たちだ。
今日一番涙が流れる瞬間だった。
良い友達、
しかもこんなにたくさんの友達に出会えたことが嬉しかった。
母が6日の朝、亡くなった。
寂しい、
悲しい、
涙、
そのような感情の前に、
「親孝行できたかなぁ」と自分に問いかけた。