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アドレリアン・ヨッ!の軌跡 そして今を歩む

※「玉川大、産能大から横浜国大大学院で学び、短大兼任講師と研修会講師をしているアドレリアン・ヨッ!の軌跡 10年ぶりに再開して主に研修会講師としての話題と資料つせくりの書庫代わりに使用し始めた。現在ピグトモは募集しておりません。 

手術後、初めてのSC。

体力がもつか不安を抱えての出席だった。


気力&体力が持続できなかった。

最終日出席できなくなったので、講師に直接小林先生に授業の感想を伝えた。

①テキストの内容を端から端まで、なぞるのではなく、濃淡をつけ、受講生が理解しやすいように、GWを効果的に入れていた。

「第3ファクター」について、テキストを読んで分かったようで分からなかったのですが、各自それぞれが作った事例を扱いながら自己理解させる方法は、素晴らしいと思った。

②せわしなく講義を進めるのではなく、ゆったりと時間を使っていた。

自分のペースではなく、受講生のペースに合わせるための状況認識能力の高い方だと思いました。また、どこで躓くかを事前に理解した上で授業を構成しているので、安心して参加できた。


③受講生の質問に最後まで丁寧に扱っていた。受講生を大切されていた。


※友人の話だと、3日目の昼休み、受講生が列をなし先生の昼食時間が僅かになってしまったそうだ。

初めてSCに参加した人たちにとってはラッキーだったのではないでしょうか。


また、小林孝雄先生の他のSCに参加したくなりました。


印象的だったGWのお題は、


①携帯電話の1日の利用回数や、1ヶ月の利用金額が多くなるほど、「深い話ができる親友」が増える。


②離婚率が低い地域は死亡率が高い。

③所得が高い人ほど健康に不安を感じる。

考える力をつけるための良問だった。

久々にアドレナリンが放出され冴えまくった。

スクーリングって本当に良いですね。

いろいろな方からお見舞いをいただいた。


まだ、職場復帰はしていないが、


カテーテルも無事抜け見通しもついたので、


「快気内祝い」を選びに百貨店へ


帰りに「図書館戦争」を観た。


産能大通信教育課程に学ぶ                アドレリアン・ヨッ!のブログ


何かの映画のとき、この予告編が、 印象的であった。


封切りから2ヶ月近く経っているので、 1日に1回しか上映していない。


まったく予備知識なしで観た。


荒唐無稽の設定だが、


なぜか、主人公(榮倉奈々)に感情移入してしまう。


以前、脚本家の倉本聰が「北の国から」で、


大きな嘘はついても、 小さな嘘はつかない。


と言っていた。


まさしく、この物語もそうである。


が、


設定に大きな嘘をついても、


底辺に流れるヒューマニティーに嘘は、なかった。


だから涙を誘う。

大人の戦争ごっこをしている。


この展開で、 最後の落としどころをどうするのか気になり始めていた。


児玉清が出てくるシーンには驚かされた。


しかし見事なもっていき方だった。


原作を読んでいないので、 分からないが、


この映画の脚本家の実力を感じた。


肩に力が入ったまま鑑賞し、


ラストで、一気に力が抜ける。


そう「海猿」のような緊迫感と


「踊る大捜査線」のような笑いと人間関係


そしてドラマ「GOOD LUCK!!」のような躍動感のあるBGMが織りなす。


今年、お勧めの映画である。


http://www.toshokan-sensou-movie.com/index.html

気力が出ない。


手術室看護士と再度麻酔医からの説明がある。

病室に本を持ち込んだが、

興味が湧かない。

緊張性の頭痛に悩まされる。

ほぼベットで横になっていた。

やっと復調。

午前、隣のベットに新患さんが、

しかし夕方、外泊許可をもらい出ていった。

滞在時間わずか。

人生をふりかえる。

悔いのない人生を歩んできた。

母が亡くなってからは、

いつ死んでも悔いはないと思っていた。

ここ数年、がんばりが効かなくなってきた。

疲れやすい。

集中力が欠けてきた。

老化現象の一つだと思っていた。

もう少し、

この世の時間を与えてください。

と、祈った。


恩師よりメールが届いた。

涙が溢れてきた。


親愛なるヨッ!、こちらこそご無沙汰しています。

メールをありがとうございました。

しかし急遽入院手術のこと、

お元気な貴兄がとびっくりしました。

いちばん大事な人の逆境の時は、

毎日かならず見る卓上のカレンダーに書き込んで、

何回も何回も祈っています。

ヨッ!のこと、すぐに書き込みました。

朝夕、ヨッ!と奥様、診察と手術を担当する医師の上に、

全快への力を与えてくださいと祈りますね。

前進前進の貴兄のこと、

「少しはひと息入れなさい」との神さまからの言葉かも知れません
ね。

どうぞお大事に。

仲間とも一緒に祈っています。  



この時間になって、
朝一番で、整体院へ
中圧でやや弱い感じがするが、身体にはいいのかもしれない。
完全に凝りが取れ、脱力。

タクシーを呼び、慌ただしく病院へ
執刀医、麻酔医とリスクの説明を受ける。
拒否するわけにもいかず。
余命を聞いたが、生体検査をしないと、と言葉を濁された。

病院に着いたら開けて、と娘から。
早い父の日のプレゼントかと思ったら、
家族が写っている写真とお守り。
仕事帰りにわざわざ浅草によってくれた。
病気回復の御利益があるようだ。
手紙を読んでいたら涙がこみ上げてきた。

まだ、9時にもなっていないが、
精神的に疲れた。
微熱が出てきたので寝る。

ゴールデンウィーク、


中二日はさんで後半。

金曜日に、歓送迎会があった。

ここ数年のなかでは、一番異動の多い年だった。

長く在職している方が多かった。

だから、この職場への想いも強かった。

異業種へ転勤した人もいた。

東北へ転勤した人もいた。

所変われば、品変わるの世界だった。
...

好きな仲間たちと久々に気持ちよく飲んだ。

気の置けない仲間たちだった。

朝起きたら、頭が痛い。

^^;

本来は、約1年ぶりにのSCの予定だった。

「生活習慣と予防医療」


単位を取るというよは、

内容に興味があった。

今年で最後の開講科目だ。

結局2度寝、

そして、

昼寝。

結局、のべ12時間以上寝た。

寝過ぎて、身体の節々が痛い。

まぁ、そう言う日も(^_^)v

最愛の母が逝ってから四十九日。

悲嘆のプロセスをゆっくり歩いている。


親が亡くなるときには過去を失い、

配偶者が亡くなるときには現在を失い、

子供が 亡くなるときには未来を失う。


私には、現在がある。

未来もある。

2013年度 面接授業(スクーリング)予定表(速報版)


が発表された。

昨年度に比べて若干入れ替わっている。

金曜日が休みにくいので、

それほどSCに出席できないかもしれない。


講師名が掲載されていないので参考程度。

半年休学していたので、

4月より復帰する。

最終学年の半年の学びになる。


経営学を学びたくSANNOに入ったが、

単位取得したのは経営学以外が圧倒的に多い。

テキストを毎日読み始めようと決意する今日この頃。



http://www.sanno.ac.jp/tukyo/student/data/sc2013_da4.pdf

母が亡くなって3週間。

毎日線香をあげに実家へ行っている。

玄関で「ただいま。」と言ってしまう。

もちろん返答はない。

そこに家はある。

20日前と何ら変わっていない。

しかし、

主がいない。

注文の多い母親だったが

いなくなると、

やっぱり寂しいものだ。

妻が先立たれたら相当ショックだろうと思った。

日常のありふれた風景かもしれないが、

今まで以上に、

妻の関心に関心をもち

しっかり話を聞こうと思った。

明日妻が先立っても悔いが残らないように。

そんな思いで一杯だ。

こんなことを気づかせてくれた。

これも母の愛情だと思った。

windows live Moviemaker with windows7 で「母の生い立ち 」を作った。

古いアルバムの中には白黒の写真がたくさん出てきた。

今のようにデジカメでバンバン撮れる時代ではなかった。

貴重なショットだったであろう。

ほとんど記憶にない。

しかし、

両親の愛情を一心に浴びて育ったことが分かる。

大事にされていた。

故・坂野先生の「自己発見」GWTは、

忘れられていた母親の愛情の再認識だった。

それも世界中の全てが敵に回たとしても

母親だけは唯一の味方だった。

だから簡易内観をしたとき、

涙が止まらなくなり、

一人研修室を出て泣いていた。

そんな感情が湧き出てきた。

葬儀、

それは亡くなった母親の愛を実感する場と時だった。

人は愛されたように、

人を愛することができる。

母が亡くなって2週間。

激動の日々だった。

喪主として、

親戚を代表して、

一家の主として、

相続人として、

そして仕事もある。

忌引休暇1週間取ったが、
 

毎日出勤した。

休める状態ではなかった。

しかし、

寿命とは言え、感謝しなければならない。

6日は、日曜日だった。

火葬場が一杯で、最短13日(日)まで待つしかなかった。

葬儀まで、ちょうど一週間あった。

だから、ゆっくりと準備することができた。

そして告別式の翌日が祝日だった。

こんな理想的な日程を組んでくれた母に感謝だった。

母の愛情を強く感じた。