いまでこそ日本は、先進国として世界に一定の影響力を持つに至っているが、幕末から明治の文明開化時には欧米諸国から野蛮国として蔑まれ、日本独自の文化などは野蛮な風習として物笑いのタネになるだけであった。
そのなかにあり、新渡戸稲造は日本の精神的支柱である武士道について英文にて著し、欧米へ紹介したのがこの本の原典である。
いま読めば、この本に描かれていることは単なる日本文化の紹介に見える。しかしながら、これが発表された1900年当時のことを思えば、いかに新渡戸が熱い思いをこの著書に託したか、胸を打たれずにはいられない。

新渡戸はこの著書の中で、「封建制が崩壊した今、武士道の精神は失われてしまうのではないか」と憂いている。
僕個人としては、その憂いは一部では正鵠を得、一部では杞憂に終わったと思う。
いまでも多くの日本人は会社や地域など、さまざまな公的団体に忠誠を尽くし、名誉を重んじ、お金に清くあろうとしている。

この本が著された1900年から100年余り経過した。
その間、日本は激動の100年をくぐり抜けてきた。
日清戦争、日露戦争、太平洋戦争という肥大化の一途。そして敗戦という形での崩壊。
高度成長期とバブル崩壊を経て、グローバル化という大きな波。
その中で、幾度もアイデンティティの喪失と再構築を繰り返しながら今に至っているわけだが、その間、日本人の根底には武士道の精神が流れてはいなかったか。

江戸時代までは、武士道は武士だけのものであった。
農・工・商にとっては、武士の美徳は自分の美徳とはなりえなかった。
幕末に僅か、農の一部の跳ね返り者が武士道に憧れ志士活動をしている程度ではなかったか。
しかし、文明開化により身分制度が破棄され、「武士」という戦士階級が廃止され、同時に徴兵制により国民皆兵化が進んだ結果、戦う心構えや忠誠心を醸成する上で武士道が階級を超えて広く伝えられたのではないか。もしろん、武士道の倫理がいつも良い方ばかりに作用したわけではない。
死を恐れないこと、忠誠心を持つこと、腹をくくってジタバタしないことなど、武士道で美徳とされていることの逆手をとって、昭和初期の日本は暴走し、結果、これ以上無いほどのひどい敗戦を味わった。
とはいえ、それは武士道自体が危険思想なわけではなく、曲解のゆえであろうと思う。

いまさら武士道も無かろう、という向きもあろうと思うが、精神的支柱を失ったら倫理は机上の空論となる。
ただの懐古趣味ではなく、世界へ貢献する日本であるために、精神的支柱としての武士道を再考することは有益なことであると思うのである。

(日本人のアイデンティティ再考度:★★★★★)

新渡戸 稲造, 奈良本 辰也
武士道―サムライはなぜ、これほど強い精神力をもてたのか?