『俳句の言葉』有冨光英編著より | sanmokukukai2020のブログ

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   『俳句の言葉』有冨光英編著より

 

   無季・無季俳句

 

    有季に対し一句の中に季題・季語のないことを無季といい、そのような俳句を無

   季俳句という。

    無季については二つの考え方がある。一つは無季の付句である。俳諧連句の式目

   を見ると必ず無季の句がある。例えば歌仙三十六句の半分は雑の句で季語を必要と

   しない。長短交互にくるので雑の半分は長句である。前句付と言って短句に付けて

   付合の味を楽しむ長句もある。これらを無季俳句ということにすれば無季の解釈は

   相当広くなる。発句についても芭蕉は神祇・釈教・恋・無情・旅態は季語と同程度

   の重味を与えている。

     歩行ならば杖付き坂を落馬かな    芭蕉

   の句は無季だが旅態ということになろうか。

    明治以降の現代俳句となり、有季を原則として例外的に無季を認める立場に対し、

   一定の見解のもとに無季を主張するグループが現れた。河東碧梧桐の新傾向俳句の

   後半(大正初期)、季語を必要とせずに心情を表白しようとする傾向が強くなった。

   時を同じくして萩原井泉水が「新傾向俳句は生活に踏みこんだ句の魂である光と力

   が欠けているとし、季題の廃止」を主張した。大正七年(一九一八)吉岡禅寺洞が

   「天の川」を創刊、新興俳句運動を推進、素材の拡充、形式の自由を強調し、昭和

   十年(一九三五)に無季俳句を提唱し日野草城が同調した。

    禅寺洞・草城らは有季俳句の正当な発展として無季俳句を認めるという主張であ

   るから、その基は有季にあった。

    同じ無季俳句だが、富沢赤黄男らは俳句を超季感の詩という主張で、有季、無季

   にかかわりなく創っていた。

    これら無季俳句に対し、水原秋桜子・山口誓子ら伝統的立場の作家から、鋭い批

   判が繰り返し行われた。昭和10年代であるから今から六十年も前のことである。

    有季・無季の論争は定型・自由律論争とともに、俳句の根幹にかかわることであ

   りながらいまだに結論が出ていない。

    俳句の国際化が叫ばれる現在だが、短詩系文芸としての俳句の命運を決める問題

   になりそうである。筆者は、山本健吉が「純粋俳句」と述べているように、「季語

   を入れた十七字の定型詩を俳句と呼ぶ」という立場である。

 

 

 

                                                               photo: y. asuka

                                            無花果ニ手足生エタト御覧ゼヨ    正岡子規