『俳句の言葉』有冨光英編著より | sanmokukukai2020のブログ

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   『俳句の言葉』有冨光英編著より

 

   句またがり

 

    これを考える場合、俳句は五音・七音・五音の三分節から成り立っているという

   ことが前提になる。この枠に過不足が生じても一向にかまわない、といういわゆる

   自由律の立場をとる人には関係がない。

       分け入っても分け入っても青い山

   という山頭火の句がある。六音・六音・五音の韻律で合計十七音だが、この句の場

   合どう読んでも六音以外に読みようがない。句またがりになる要件を具えていない

   ことになる。だから自由律というわけである。

    

    では次の句の場合はどうだろう。 

       妻二夜あらず二夜の天の川  草田男

   意味から言えば「妻二夜あらず」と続けて読まなければならない。同様に「二夜

   の天の川」も一つのフレーズである。結局、八音・九音の二分節を五・七・五のリ

   ズムに乗せて読むと五・三と四・五に分けなければならない。すなわち句またがり

   ということになる。

    

    次の例ではどうか。

       泉への路おくれゆくやすけさよ  波郷

   この句の場合、「泉への路」が一つの言葉として意味を持つ。上五から中七へか

   けて句またがりになっている。読むときは五・七・五と読んでも、意味としては七・

   五・五となっている。

 

    草田男、波郷と挙げたから楸邨の句をとりあげてみる。

       雑巾となるまではわが古浴衣  楸邨

   「雑巾となるまでは」は五音・五音と読んでいい。「わが古浴衣」が一つの言葉と

   して切り離すわけにはいかない。これは中七から下五にかけて句またがりとなって

   いる。ということは意味の上から考えれば五・七・五の三文節である。

 

    こうやって見てくると、句またがりはリズムの取り方の問題となりそうだ。定型

   は五・七・五だが、これを七・五・五としてもいいということになる。さらに言う

   と、十七音の範囲内であれば、四・四・四・三などというリズムも考えられる。句

   またがりを気にする必要はなさそうだ。

 

 

          photo: y.asuka