2019年4月に有馬英子さんの第二句集『火を抱いて』が出版されました。2001年の第一句集『深海魚』に次いで、その後の20年間ほどに詠まれた約300句が載っています。「白」301、302号で紹介されましたように、たくさんの方々から感想をいただきました。そして、他結社誌、俳句雑誌に取り上げられ、その反響は今も続いています。
現代俳句協会会員で句集『青き小さき魚』(2019年)の著者有坂花野さんから感想文をいただきましたので、ご紹介いたします。(YA)
『火を抱いて』まず表題に打たれた。生易しいものではない、鬼気迫るものを感じた。すると
火を抱いて獣を抱いて山眠る
という句に出合った。冬の山の鎭森は決して安らかではないけれどやはり眠りと言う渺々たる静けさの中にある。草木は枯れ、動物を眠らせ、常緑樹はそれらを守るように立ちつくしたままである。しかしその眠る山のどこかに決して眠らない「火」がある。それはほとんど永遠のように感じられる。暖かくも優しく、時に恐ろしくもある「火」はじっと埋火のように潜んでいる。しかし山は全てを包含して今はただ静かである。ただただ静かである。
この句集には透徹した視線とロマン的イロニーがある。見ている目がある。感じている心が、聞いている耳が鋭い。それらすべては万人に見えるものでも感じるものでも聞こえるものでもない、ひとり詩人のみのできる感覚である。それは時に詩人を苦しめる。だが詩人は
福笑いこれを自画像と決めた
この詩人の苦悩を自らも笑い飛ばせる強靭さが、句集全体を立ち上がらせている。読む者を安心させている。しかし油断してはならない。
万緑の奥へ奥へと核のゴミ
反対と叫び入道雲になる
浅春の手にフクシマを指す磁石
九条に蛍光ペンを引き冷夏
冴返る原発からの請求書
飲め飲めと言われ水飲む広島忌
人はおおよそこの種の句をスルーする。
何故?手に負えない事態だから?いったいなんだって言うのだろう。現在直面している我々の世界、鞱晦するだけが詩句とは思わない。逃げたって何の得にもなりはしまい。
冷麦のこんなところに赤い糸
嘘つきの舌かもしれぬ薄氷
頬杖が外れて秋思粉々に
口裏を合わせ狐の尾が揺れる
肌寒し優しい言葉ほど濁る
牡丹の前で言葉がひざまずく
そこはかとないユーモアだが、そうは言っても我も人間、
いざというときにはすがる蜘蛛の糸
自我という車を降りて冬うらら
赤いマフラーどなたに締めてもらおうか
青林檎がぶりと我の意思表示
だから覚悟のほどは、
冬日向横にして置く砂時計
こうして詩人は自己の精神安定を保っている。私も真似てみたい作業だが、いつになったら砂時計を横にして置けるのだろうかと、右往左往している日常である。
率直、ユーモア、泰然自若という印象の句集でした。
ありがとうございました。
有坂花野 2019年12月
有馬英子の書 『火を抱いて』より
*『火を抱いて』はまだ少し余部があります。購入は、「有馬英子句集刊行会」0466-25-7770までご連絡ください。