sanmokukukai2020のブログ

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       三木句会ゆかりの仲間たちの会:藤原満喜さんのエッセイ

 

        

       おのづからなる姿、よろしき面影

 

        別府市の高台にある国際大学、立命館アジア太平洋大学で華道講義

       を担当するようになり、あっという間に十年が過ぎる。当初は私の中

       にどれほど「いけばな」があるのかと自問しながら、ただただ懸命に

       華道講師を演じていたような気がする。

        ちょうどその頃、草本美沙さんの紹介で「水輪」の前身となった

       阿部王一氏の句会を訪ねた。別府市美術館の奥にあった波音の聞こ

       える一室が句会会場で、王一氏の隣にはいつも美沙さんがいた。

        美沙さんは、私が竹の職人としてまだ駆け出しの頃からの縁で、

       ずっと応援してくれた。時おり私も彼女の自宅を訪ね、取りとめも

       ない学生たちとの教室でのやりとりを話すことがあり、喜んでも

       らったことを思い出す。

        さて、室町時代後期に華道を確立させた池坊専応の書「専応口伝」

       の序文にこういう一説がある。

       「此一流は野山水辺おのづからなる姿を居上にあらはし花葉をかざり、

       よろしき面影をもととして先祖さし始めしより以来、世にひろまりて

       今に都鄙のもてあそびとなれる也」

       「おのづからなる姿」と「よろしき面影」、どこか俳句の「写生」と

       通じるように思えてくる。そもそも華道が生まれた室町時代に茶道が

       生まれ、能、狂言、連歌が当時の武家や公家たちの間で広まり、特に

       連歌は江戸時代の俳諧、近代の俳句と繋がっていく。そうすると現代

       の俳句の写生と専応口伝の「よろしき面影」「おのづからなる姿」が

       重なって見えることもまんざら否定できないような気がしてくる。

       人々の美意識や伝統は歴史年表で区切られるものではなく、人々の

       身体の中を河のように通り抜けていく。

        大学の華道講義の初日、学生たちは生花店で調達した花材ではなく、

       大学構内の植物を自分の足で探し、自分の目で選び、自分の手で作品

       を仕上げた。その時の彼らの表情は何とも生き生きとしていて、見て

       いる私も幸せな気分になってくる。まさに俳句の吟行をしている姿で

       ある。今季は山吹、椿、躑躅、木蓮、藤、青紅葉、彼らの掌の中の

       花たちはまさに俳句の季語ばかり。眼下には別府湾が広がり春の光が

       彼らを包む。

        こんな出来事を美沙さんに話したことを今思い出す。

 

          百幹の竹百幹の影涼し    美沙 

  

          母に抱かれて初秋の波の音  満喜

 

        

 

                 *****

       藤原満喜さんは、別府市で竹工芸品の制作を続ける一方、地元の大学で

       華道教師として生徒の指導をしていらっしゃいます。

       彼とのご縁は、2003,2004年に、助成金事業の一環として、インドと

       イギリスへの竹工芸指導と日本の竹工芸の紹介を委託したことが始まりで

       した。20年以上も前のことになります。俳句もなさるということなので、

       次回はぜひ、ご披露していただきたいものです。(遊子)

                         藤原さんの海外での体験レポート:

        www.handmadejapan.com/sidestory_/sst115_01.htm

 

 

 

 

 

 

              

                                           m.fujiwara作

                                               夕わけて竹の皮散る酒の中   清水基吉