死語になった破廉恥。
政治屋(家)・芸能人皆週刊誌に暴露され、行い(特に不倫・不正政務調査費)を否定する。
しかし、その後行為を裏付ける資料が出るわ出るわ。
表題の破廉恥は、明治まで使われた「廉恥」を破ることが多かった明治時の新語です。
internetが出て世には隠すことが難しくなった平成時も同じである。
幕臣勝海舟は、「行蔵は我にあり、毀誉は人にあり」と言ったとな。
徳川時代の最後江戸の民を守り、日本を守ったと言われた男は、
主君慶喜(けいき)が天皇に許さるまで新政府に使え、恥を忍び主君の名誉回復に努める。
徳川の軍の最高指揮官が明治政府に使えることは恥であった。
しかし、日本を守るため慶喜に徳川の終わりを説き謹慎を促した。 朝敵になった慶喜の名誉回復(明治天皇への謁見、明治三十一年)の翌年まで、旧幕臣の生活の面倒見る。
波乱の男、明治三十二年死去。
自己の考えと行い(行蔵)は我のみぞ知る、批判(毀誉)は周りの勝手な言い分。
破廉恥が死語になることを悲しむと同時に、行蔵に恥じない生を全うしたい。