『子曰く、古者、言をこれ出ださざるは、

躬の逮ばざるを恥じてなり。』(里仁第四22)

 

昔の人が軽々しく言葉を口にださなかったのは、

自分の身の行いが言葉に追いつけないのを

恥じていたからだ。

 

謙虚な気持ちを持って、こう思うことが、

「言葉に出来るまでに到達しようと、

自分の行いを磨くための活力になるのだな」キラキラ

 

「言葉」に「自分の身の行い」を及ぶものにしなさい!

言われているようで修行の身にしみましたダルマ

算命学自体の事を語れるようになるまでになりたい。

今はまだ軽はずみな事は言えません。