1月に次男が病気になって

当初に比べれば落ち着いてきたものの

 

まだまだ不安定な状態です。

 

地獄のような3ヶ月。

 

次男に付きっきりのため

私も長時間の外出がままならなくなり

 

1月に美容院で縮毛矯正かける予定だったのですが

縮毛矯正って、結構時間がかかるので

 

延期延期で、未だかけられず・・・。

 

一人でカフェに行ったりするのも好きだったのですが

 

ダンナから気分転換に行ってきなよ

と言われても

 

落ち着かなくて

結局早々に引き上げたり

 

ふと

”今後、心から笑える日ってくるのかな”

 

と思ってしまいました。

 

次男の前では

なるべく笑顔でいるようにはしています。

 

辛い時ほど笑顔でいるのは

天恍星持ちの私にとってはお手のもの。

 

無表情だった次男も

少しずつ笑顔が出て来たので

 

私も、次男を茶化したり冗談言ったり

それくらいの笑いは出来るようになりました。

 

それでも

”心から笑う”というのは無理なんだろうな・・・

 

と思っていたら

 

昨日、次男のリハビリに付き合っている最中

次男があまりに可笑しい仕草をしたので

 

思わず吹き出して大爆笑してしまいました。

側にいたダンナもお腹抱えて笑っていて

 

その時に、

あれ・・・?

 

今、私、心から笑ったよね??

 

と気付いて。

 

”心から笑う”というのは

何の心配事もなく平穏無事な状態でしか出来ないもの

 

そんなふうに思い込んでいたけれど

 

そんなことなかった。

 

いつだって、

どんな苦しい時だって

心から笑える瞬間ってあるんだ

 

それくらい、一瞬一瞬は変わっていく

 

長く続く「苦」の最中でも

ほんの一瞬、楽しいこと、嬉しいこと、心から笑えることってあるんだ

 

「今、この瞬間を生きることが大事」

ってよく聞くし

頭では理解していたけれど

 

こういうことか!と実感しました。

 

 

そして、昔読んだ「夜と霧」の

夕日の場面を唐突に思い出しました。

 

第二次世界大戦で、ドイツの強制収容所生活から生還したヴィクトールEフランクルが書いた名著。

 

強制収容所という絶望的な状況の中でも

囚人達があまりに綺麗な夕日を見て

「世界はどうしてこんなに美しいんだ」

と感動する場面。

 

確か、高校生だか大学生だかの時期に読んだので

この場面しか覚えていないのですが

 

この場面、印象的を通り越して

かなりの衝撃でした。

 

そんな状況の中で、自然の美しさに感動!?

 

えっ、私だったら絶対無理!!

多分、即死んでる・・・

 

と、当時の私は思ったものです。

 

日常、夕日を見て「わー、綺麗だなー」

と思うことはあれども

私はそこまで自然の美しさに感動したことなどありませんでした。

 

そんな私にとって、

「夜と霧」の夕日の場面は、いつまでも忘れられない印象に残るものでした。

 

私の苦しみと

アウシュビッツでの苦しみとでは、まるで比較にもなりませんが

 

それでも、苦の中でも何かに感動する、ということ

 

私の場合、感動ではなく”心からの笑い”ですが

 

苦の中では、そういうことはあり得ないと思っていたけれど

そんなことはなかった。

 

一瞬一瞬を生きるって、こういうことなんだ

と腑に落ちた私にとって

 

真っ先に浮かんだ「夜と霧」の夕日の場面。

この場面は、人の究極の域だと思うからこそ、急に思い出したのかもしれません。。。

 

 

今読むと、ちょっとまだ気分が滅入りそうなので

もう少し落ち着いたら、再び読みたいな、なんて思いました。

 

 

私が読んだのは、新版だったか旧版だったか

昔のことで記憶がない・・・