毎日、仏壇に手を合せています。

 

次男が少しでも回復するように、

長男も元気でいるように、

ダンナもいろんな疾患抱えているけれど、少しでも良くなるように

お義母さん、どうか見守ってね。

義父も亡くなっているんだけど、どうしても義母がメイン・・・

 

と、願うことは毎日ほぼ一緒。

 

寒川神社で郵送のご祈祷もしてもらったことは以前ブログで書きましたが、

その記事を見て、ある方から「大抵のことは寒川神社が守ってくれるよ!」とメッセージいただいたのが

かなりの励みになっています。

他の方々もメッセージありがとうございました。

また、あえてそっとしておいて下さる方々もありがとうございます。

 

こういうときは、やっぱり神頼みが安心します。

もちろん病院や治療が先ですが

 

算命学で言う「神」は自然界そのもので、

すがりついても無理なのですが、

むしろ厳しいというか、自然界なので無情・・・

 

やはり、藁にもすがりたい時というのはあって、

そういう時は算命学ではなく

神社などでの神頼みの方が気持ちが落ち着きます(←私はね)

 

算命学は、もっと冷静な時に

あくまで「参考」として使うほうが良くて

藁にもすがりたい!とか、何とかして欲しい!

という時に、算命学や占い・占い師にすがると自分の軸がぶれそうな気がします。

 

算命学で次男のことを検証することは出来るけれど、何せ我が子のこと。

冷静に見られないので、今は算命学で見ることは控えています。

といってもやっぱり見てしまって、何となく分るけれど・・・

 

・・・と、書きたかったのは算命学のことではなく

義母の亡くなったタイミングのこと。

 

仏壇に手を合せながら、ふと思いました。

 

今もし義母が生きていたとしたら・・・

 

次男の病気を知ってショックを受けるだろうな、

ということくらいしか今まで考えていなかったけれど

 

義母が今も健在だとしたら、

義母の訪問リハビリやら病院への頻繁な送迎など

ダンナが一手に引き受けてくれていたけれど

 

次男が病気の今は

誰も義母の面倒なんて見られなかっただろうな。。。

 

今は、ダンナも私も次男にかかりきり。

それくらい、次男の病気というのは困難なものなのですが・・・

 

ダンナ自身も疾患をあれこれ抱えているので

自分自身のことでも大変だろうに、

それでも我が子のことは、それ以上に思いが強く

 

ダンナとは意見が真反対になることが多くて

返って大変だったりするものの

先日、それでかなり私の精神もすり減った・・・

 

それでも、ダンナのことを有り難いと思うことも増えました。

 

1日のうちで

次男は朝が比較的体調が良いのですが

 

ダンナは逆に朝が酷くて、こころのところ自分で薬が飲めないくらいなので

 

私は、次男の薬を飲ませたら

ダンナの薬も飲ませている、という状態です。

 

ここに、義母の介護が加わったら??

 

おそらく送迎するダンナがダウンするでしょう。

そうなると私も共倒れ・・・

 

病気の次男はどうなる??

 

など、考えると恐ろしいです。

 

義母が亡くなったのは、とてもショックで

毎日、ただただ悲しかったけれど

 

今のこの状態を考えると

あのタイミングで亡くなったのは

何かしら意味のあることだったのかもしれない

 

そんなふうにも思いました。

 

・・・何事も、その時は分らなくても

後で振り返ってみると景色が変わって見えたりしますね。