算命学で言う「神」というのは

「自然界の法則」のことを言うので

 

祈れば救われるとか

悪いことしたら地獄に落ちるとか

 

そういった宗教的な神とは違っています。

 

なので、自然界の法則には

情的なものはありません。

 

 

・・・ここで、ふと思いました。

 

算命学って、常に一極二元論。

 

神という極も

一極二元で言えないのかな??真顔

 

算命学でいう神は、自然界の法則なので理的な神だけど、

人間が求めている神っていうのは、信じたら救われる的な、情的な神。

 

理的な自然界の神(天)と

情的な人間の心にいる神(地)、

 

この二つを合せて一極二元の神、

 

みたいな考え方って出来るのかな真顔

算命学ではそんなこと言われていませんが

 

自然界の法則というのは、情なんてなくて

バランスで成り立っているので

 

地震や土砂崩れなどの天災は

アンバランスになったものを戻そうとしただけ

 

でも人間としては

どうしてこのタイミングで、こんな酷いことが起きるの?

良い人がなんで酷い目にあうの?

 

良い人は報われて、

悪い人は天罰が下る

 

そう思いたいのが人間じゃない??

 

私自身、今

大変な状況の中で

 

なんでこんなことが起こるの?

なんか悪いことしたっけ?

 

みたいな気分になるのですが

 

それって

良いことしてたら良いことが起こる

悪いことしてたら悪いことが起こる

 

そんなふうに思っているから

不運なことがあると、

なんか悪いことしたのかなぁ・・・

 

って思うわけで

 

自然界の法則そのものは

私が良いことしていようが、悪いことしていようが関係なく

絶えず循環し、バランスを保とうとするもの

 

でも、私の心の中の神は

因果応報的なものを信じているんだよなー。

 

だから、不運なことが起こる度

え~、なんでなんで??

何か悪いことしたっけ??

 

って思ってしまうけれど、

 

もういい!!良いことしていても報われないなら

悪いことばっかりしてやる!!むかっ

 

・・・とはならないのよね真顔

 

不運を嘆いて

しばらくは動けないでいるんだけど

 

時が経てば、やっぱり希望に向って進みたくなる。

 

・・・こういうのって、

たぶん私だけじゃないと思うので

 

 

天の神は自然界の法則、理的で無情なものだけど

地の神は、人間の心の中にいる神で、情的なものなんじゃないかな。

 

そして大事なのが「時間」で

 

時が経つと、

不運を嘆いて動けなかった心も

いつの間にか少しずつ動きだそうとする

 

天と地を結ぶのが「時間」というけれど、

ほんとそうだな、って思います。

 

地で情的な心の神が、

時間の経過によって

理的な天の神と結ばれて、

 

いつの日か、不運を乗り越えて歩き出す人間の姿というのは

天と地と時間の三位一体の姿なんじゃないかと

 

そんなことを、ぼんやり思ったりします。