「算命学は立体五行説で考えよ」

というようなことが、

原典算命学大系には、耳ダコになるくらい書かれているし

 

原典算命学大系以降に出された書籍、

高尾学館の教科書や、

その他の書籍(悠久の軍略、東洋の予知学等)

にも、当然のように立体五行説は出て来るので

 

私はてっきり

立体五行説というのは、古代から伝わっているものなのだと思っていました真顔

 

でも、新版の原典算命学大系の特典として付いてきた

「算命学自然法原典」という、高尾先生直筆の原稿を読んだら

これね↓

 

まったく立体五行説という言葉が出て来なかったので、おや??と思って真顔

「算命学自然法原典」は、原典算命学大系よりかなり前に書かれた原稿

 

これは高尾先生が

それまでにあった様々な五行説を

 

これって実は、二つの考え方に分けられるんじゃないかと気付いて

 

五基点の五行説を平面五行説に、

六基点の五行説を立体五行説に、

という区分けを明確にされて

 

平面五行説の対になるものとして、立体五行説という言葉を作ったのかな、と推測しました。

あくまで推測だけど。まぁまぁいい線いってると思う。←自画自賛

 

そんな思いで、再び原典算命学大系を読むと

 

原典算命学大系2巻には、

平面五行説が「占い」の分野を作り、

立体五行説で「思想」の分野を作っている

ということが書かれています。

 

そして原典3巻には、

古代中国人は人間の知恵と神の知恵(自然界の法則)とを分けて考えていて、

神の知恵に立体五行説を使い、人間の知恵に関して平面五行説を使用している

といった記載もあります。

 

この箇所を読んで、はっとしたのですが。

 

高尾先生が

「算命学は立体五行説で考えよ」

と言われている意味は

 

占いの答えよりも、それまでの思想が大事だよ!

思想といっても、人間の知恵よりも、神の知恵(自然界の法則)を知ることが大事だよ!

そして、神の意志を知るには、心を高めることが大事だよ!

 

ということを、立体五行説という言葉に含意して仰っているんじゃないかと思って。

 

 

陰陽五行説が日本に入ってきた頃は

平面の図形しかなく、

でも六基点の五行もあるので(六神獣とか、五臓六腑のうちの六腑とか)

 

高尾先生も

最初のうちは、まぜこぜになった陰陽五行説を

占技として使っていたところ、

 

徐々に、先生の中で理論が研ぎ澄まされていって

平面五行説と立体五行説の区分けに気付き、

 

占技よりも思想を、

人間の知恵よりも神の知恵を

重視しているのが算命学

 

ということに気付いた、

あるいは思ったんじゃないかと。

 

そしてそんな思いが

「算命学は立体五行説で考えよ」

という言葉で表現されているんじゃないかと思って。

 

私は、直接高尾義政先生から学んだわけじゃないし

私が算命学を知った頃には、先生はとっくに鬼籍に入られていたし・・・

こうやって先生の残された書物を読むことしか出来ないけれど

 

なぜ先生が

立体五行説!立体五行説!

と、耳ダコになるくらい書かれているのか

ということを思うと

 

干支というものが、そもそも物言う符号というように

 

立体五行説、という言葉も

物言う符号みたいに

高尾先生の思いが包含されているんじゃないかと思って。

 

高尾先生も、最初の頃は占いの技術を伝授することに重きを置いていたのが

徐々に、本当に大事なのは「立体五行説」的なものの見方や考え方、

それには心を上げることが大事

 

というような思いが強くなってきたんじゃないかなぁ。

 

占術重視だと平面五行説的(人間の知恵)だけど、

思想重視だと立体五行説的(神の知恵)、

そして、算命学は後者だよと

それには心を上げることが大事だよと、

 

高尾先生は仰っているんじゃないかと。

 

私は立体五行説という言葉が、

最初からあったと思っていたし、

世には流布されていないけれど、高尾先生だけは先代から引き継いでいた、みたいに思っていた

 

最初からあったと思っていた頃には気付かなかったけれど、

 

もしかしたら立体五行説という言葉は

高尾先生が作ったもの?

と考えたら

 

最初はごちゃ混ぜだった五行説が

高尾先生によって、立体と平面に分類されたことで

 

理論が研ぎ澄まされたものになり

 

算命学は立体五行説で考えよ、

 

と、なぜ先生が何度も仰っているのか・・・

 

その意味が、ようやく分るような気がしましたニコニコ