私の日干支は「乙丑」です。

 

先日の青龍先生のブログで「乙丑」の解説がありました。

青龍先生も私も「いい人 乙丑 ^^」

 

 

青龍先生も書かれているように、

 

『無より無を学ぶことが少なく、有から無を学び有に転じる才能』

というのが乙丑の特徴としてあります。

 

「有から無を学び有に転じる」真顔

 

これ、小さなことにも言えそうだな、と思って。

 

例えば、このブログを書いているPCの横に、コップがあります。

 

コップは形のあるもの。

でも、このコップを作るまでには、何かコンセプトや思いがあるわけで。

 

形のあるコップが「有」で、

そのコップを作るコンセプトや思いが「無」。

 

言い換えれば、思いを形にして出来たのが、私の前にあるコップ。

 

そして、今あるコップのコンセプトや思いを元に、更に改良してより良いコップを作る、というのが「有から無を学び有に転じる」みたいなことかな~とも思えます(私の解釈ではね)

 

 

そして、ちょうど原典算命学大系11巻を読み始めたところなのですが。

 

冒頭に、

算命学というのは「思想学」だけれど、

大衆には「占い」という手段を取って知らせている、

というようなことが書かれていました。

 

算命学って

奥に思想があって、

その出力結果が「占い」

みたいな感じ。

 

表面に出しているのは「占い」だけれど、

知って欲しいのは「思想学」のところなんですよね。

だから「なぜ?どうして?そうなるのか」を視座高くしないと掴めない。。。

 

 

これも、さっきのコップという形が「有」で、そのコップの奥にあるコンセプトや思いが「無」って書いたように、

 

算命学というものは、占いという答えとして出した形が「有」で、その奥にある思想が「無」と言えるのかな、と思って。


 

算命学的に言えば

目的・中身という「無」の部分が「思想」で、

手段・形という「有」の部分が「占い」、みたいな。

 

そうすると、乙丑は、

算命学の占いという形である「有」を見て、その中にある「無」の思想を学び、さらにそこから改良して「有」に転じる、ということも得意、ってことかしらぁ??ニヤニヤ

 

「無から有を学び無に転じる」才能があるなら、なにも算命学に限ったことでなく。

様々なことに応用出来そう♪

(その代わり、無から無を学ぶことは少ない)

 

なんて・・・

素晴らしい我田引水真顔

 

たまに突飛な考えが浮かんで来るので、書いてみましたが、

これが「正解!」とかじゃないので~