秋刀魚(さんま)漁が始まったのはいつ? | 幻のさんまスタッフブログ-北海道釧路発の絶品糠秋刀魚(ぬかさんま)好評発売中!!

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そろそろ秋刀魚(さんま)が美味しい季節がやってきました。

ところで秋刀魚(さんま)っていつ頃から漁が始まったのでしょうか?

ちょこっと気になったので調べてみました。

以下、インターネットより引用



 サンマ漁の最初は江戸初期の紀州熊野灘と言う。(現在の三陸沖に比べると随分と南である。)

当時は利根川関宿(千葉)あたりでサケが良く捕れており、

(平安時代には和歌山県熊野川でも捕れた記録がある)寒流がかなり南下していたらしく

紀州が本場だった事は不思議ではない。

 現在殆どサンマ漁のない和歌山県も戦前までは全国一の生産量を上げる事が多く、

明治25年にはサンマ漁船60隻余が勝浦沖で突風転覆、

749名のうち八丈島漂着179人などを除き行方不明者229人と言う海難史上の大事件もある。

 サンマが文献に登場するのは『本朝食鑑』(1697年)が最初らしい。

『梅翁随筆』によると明和(1764~72年) 年間は未だ下賤な魚として食べなかったそうである。

 1772年の安永改元の頃「安くて長きはさんまなり」と書いて売る魚屋が現れてから

庶民が食べるようになったが、武士はほとんど食べなかったと言う。

江戸時代の下等魚にはこの他にマグロとイワシがあり高級魚はタイとされた。

落語「目黒のさんま」の初出の文献は「重修本草綱目啓蒙」(1801年)である。

しかし明治24年頃に禽語楼小さんによって演目として完成したものらしい。

1766年本所緑町に住んでいた狂歌師・白鯉館卯雲(はくりんかんぼううん)が

京都御所の別殿造営に京都に滞在した折に上方の雑俳点者や浮世草子作家達が集めていた

「咄(はなし)」を持ち帰ったものが「鹿子餅(かのこもち)」(1772年)に結実、

1798年に三笑亭可楽が下谷で寄席を開いたのが落語の最初と言う。

すると「目黒のサンマ」は庶民がサンマを食べ出したのに、

武士は未だ食べなかった時代にぴったりと合い、

当時としては話題性十分の演目だったはずである。



だそうです。

秋刀魚(さんま)漁が始まったのは300年以上前のことなんですね。

そんな昔から日本の食文化を支えてくれていた魚。

これは食べるしかない?

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