人はそのままで美しいし、光だ。
私の好きで、神々しく感じるこの木は、けっして美しく整っているわけではなく、いびつで、折れていたり、断絶されていたりする。
それでも、それは、とても美しい光を放っていて、とてもきれいだ。
人も同じだ。
美しいばかりじゃない。
いびつで、エゴも欲も、黒さも闇もある。
親との関係性で、こんなにトラウマができた、私は、親でこうなったと言ってる言葉からも、私は愛されたいの、親が好きなの、愛したいのって、すねて、でも親が大好きで求めてるようにしか、私にはもう、そこにしか、見えない。
愛と憎しみは、一直線上にある。
憎んでいても、本当は愛されたくて、愛したい。
どんなにきれいな言葉で、愛とは って、解いたとしても、本当は、人は愛されたいし、大切にされたい。
自分をどんなに愛したとしても、人から愛されたい、人から愛されることを求める。
それでいいじゃない。
愛されたい、愛されたら気持ちよいもの。
親から愛されたり、愛する人から、愛されたり、必要とされたら、嬉しいし、安心するし、気持ちよいもの。
愛したい。
男は、女をもとめるし、女は男をもとめる。本当のことだ。
本能だ。とても、素直で本当のことだ。
でも、そうであっても、人は美しいし、私
は人が必要で大切だ。
とても、大切で、とても必要です。