浅田彰『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』を読んで | 四角いけれど丸くなりたい

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 この本は30年以上前、1986年に筑摩書房から刊行された文庫本ですが、とても感銘を受けたので少し感想を書いていきたいと思います。

 この本の『逃走論』という題名は、「《追いつき追いこせ》のパラノ的競争過程にしがみつくだけでなく、そこから少しズレた方向に迷走してみること」を勧めるという意味でつけられたもののようです。

 

 

なぜ今、この本を読むのか?

 

 浅田彰氏は「構造主義」を中心とする現代思想についての著作を多く執筆していて、中でもデビュー作である『構造と力』は最もよく知られています。

 この『逃走論』も現代思想に属する著作なのですが、あとがきに自ら「雑多な本」に近いような本と述べるように、理解のしやすい論説・対談記録・読書のススメと多岐に渡った内容を含んでいるのが、この本の大きな特徴の一つであると言えます。

 しかしながら、現代思想の分野は特に目まぐるしく新しい議論がなされています。その中で既に30年以上過ぎたこの『逃走論』をなぜ取り上げたかと言えば、その「広さ」「柔軟性」を真似しなければならないと思ったからに他ありません。

 

 

「広さ」と「柔軟性」

 

 浅田彰氏は、元々経済を専攻されていたようですが、そうした影響もあってかこの本では経済思想にも触れられています。しかしながら、それにとどまらず、古代哲学から現代哲学政治思想、さらには言語論文化論と驚異的な「広さ」を持った本がこの『逃走論』です。

 これは浅田氏の問題関心が、様々なものに当てはまるということもあるのでしょう。しかし、やはりどの学問分野にも「専門性」がありますから、それらに拒絶反応を起こさず、批判されることも承知の上で様々な分野に足を突っ込んでいくという「柔軟性」をもつこの本の姿勢は、やはり異質と言えます。

 

 そして、またこのことは、浅田氏自身がそうなっていくべきという理念に支えられて研究をしていたのだとも思われます。

 浅田氏の重要な概念である、「パラノ型」(偏執型)と「スキノ型」(分裂型)の話を簡単に説明するならば、お金をどんどんと貯蓄していくように(一般的な人)、過去の全てを背負っているようなものが「パラノ型」で、ギャンブラーのように、一瞬一瞬にすべてをかけるようなものが「スキノ型」ということになります。

 そして、浅田氏は、基本的には何事においても「パラノ型」から「スキノ型」に移行するように求めるのです。その「スキノ型」にまず自分自身が変わって、無戦略に徹し、あっぴろげに書いたのがこの本だと言えるでしょう。

 

 

中国思想から見る西洋哲学の可能性

 

 こうした「広さ」「柔軟性」を持つことはとても難しいことで、広く学び、柔軟な思考を持たなくてはなりません。しかしながら、この本を読んで、そもそも学問とはそういうものなのではないか?と思わされています。

 そして、中国学自体がかなり閉鎖的に、よく言えば「専門的に」発展してきたものなので、(歴史分野などで少し取り入れられたことはありましたが。)このことは、中国学全体に当てはまる問題でもあります。

 そこで、最近は、より好みせず、広く名著を読むようにしているのですが、そこで少し気になったことは、「東西思想の比較」と言った場合に比較される東の思想の対象が往々にしてインド仏教である、ということです。

 西洋哲学が中国のそれよりも研究が進んでいることは、否定すべくもない事実であって、私自身も西洋哲学から影響を受けて中国思想を考えることは多いのですが、その逆に西洋哲学の議論の突破口が中国思想にあるのではないか、と思うこともしばしばあります。

 つまり、東西思想の東の思想として、中国の思想に見るべきものがあることもまた、これから述べていかなければならないことであると思っているのです。

 遠大な計画であって、何十年後になることか分かりませんが、折に触れてこのブログでも、考えていることの一端が書ければと思います。