竹之御所流三光院精進料理 非公式食事案内文

この文章は『ウーマンズフォーラム魚』白石ユリ子代表の密命により、

西井香春先生に内緒で制作された非公認のお楽しみ文書です。

三光院の公式ではありませんが、料理の歴史的背景や意義付けを知る機会に、

また食事体験の振り返りのお供にお使いください。

この文書の取り扱いや西井香春先生の哲学は文末に記載しますので必読です。

 

Japan's only Takenogosyo style(Tradition of the Princess Priest) 

Sankouin Buddhist cuisine(ZenVegetarianCooking) 

unofficial meal guide

 

0●甘味(デザート)が最初に出される?

 三光院ではまず最初に出てくるのが甘味の最中です。皮の模様は笹竜胆。一般的には源氏の御紋として知られていますが、三光院の紋でもあります。

 パリパリに焼き上げた最中に直前に餡子が詰め込まれます。その中央には大徳寺納豆が配置され、塩味を効かせて甘味をより引き立たせています。

 最初に甘味?と誤解されることが多いのですが、京都では食事をするしないに関らず、来客にはまずお茶でおもてなしをする文化があります。この場合のお茶とは

抹茶(お薄)のことです。甘味はお薄の味わいをより深めるために提供されるものなので、あくまで最初に出てくるのはお薄ということになります。

 最中はお抹茶が出されるまで待つ必要はなく、パリパリのうちにお召し上がりください。

 

注意:特に断りがない限り、この文書内で京都と表現する場合は、比丘尼御所の文化、特に三光院の出自である曇華院の文化のことを指します。京都全体のことではありません。

 

1●三光院の三茶

 三光院の食事では最初にお薄(抹茶)、ご飯物時に焙じ茶、そして最後に特別茶として煎茶が出されます。海外の方はお水が無料というだけで驚く方もいらっしゃいますが、日本の方々にとっては飲食店でのお水はもちろんお茶まで無料が当たり前になっています。しかしそこには当然弊害もあります。

 無料で出せるお茶は無料の質でしか維持が出来ません。お客様の中には順番を無視して「最初に煎茶を持ってきてくれ」「お白湯で薬が飲みたい」「お茶のお代わりは?」などと注文される方がごく稀にいらっしゃいますが、努力して低額提供を維持させている三光院では、そのような要望に応えるのが難しいことをご理解いただきたいです。水分はお水を用意しておりますので、ご自由にお汲み取りください。

 ちなみに抹茶は柳桜園の「松の白」。これは浄財をいただく以上は、曇華院で出されてるものより一段上のお茶にしなければと選ばれました。ほうじ茶は一保堂。最後の啜り茶は玉露を使用しています。いずれも京都のお茶になります。

 

2●お煮しめ

 この最初の一皿に、三光院精進料理の特徴と魅力が凝縮されています。まず一般的な精進料理は、皿の上には食せるものだけが乗せられます。一方で竹之御所流では、食すことを前提とせず、視覚を楽しませるためだけのカイシキ(葉)や飾り花が配置される雅さが特徴としてあります。

 最初の一皿に添えられる葉は南天です。古い時代は、食中毒が何故に起こるのか、同じように作っているはずなのにその理由が分かりませんでした。病気などと同様に悪霊や得体の知れないものが原因と考えられることもあったのです。

 そのため南天が配置されるのは、今風?に表現すれば親父ギャグとなってしまうのでしょうが、いわゆる言霊信仰によります。南天で『難を転ずる』。災いを去らせるという祈りが、この最初のカイシキには込められているのです。

 

 お煮しめの最大の特徴は、出汁を一切使わないことです。野菜は野菜自身の出汁で、高野豆腐も同様で、素材自身の味を引き立たせるには出汁は不要と考えます。

 数多ある精進料理の中には、出汁だけは魚介なども使用して味を強調させるお寺やお店も少なくないですが、竹之御所流では出汁の味ではなく素材の味を引き立たせることに拘りを持ちます。

 お吸い物以外では一切出汁を使用しない献立の月も多いのです。逆にいうとお吸い物のためだけに出汁を毎日三時間も煮込む贅沢さを併せ持ちます。三光院で出汁が使われるのは、餡掛けなどに限られますが、全て昆布出汁で動物性が使用されることはありません。

 お煮しめの煮方は一様ではありません。同じ食材でも出来により変更が加えられます。例えば牛蒡の場合は基本的に水分がなくなるまで煮詰めます。水の中に出された素材自身の出汁を再び吸い込ませるのです。これは油断すると焦げることに繋がります。また、作り置きはしていないので、お客様の人数によっては献立記載の野菜が変わることもままあります。牛蒡などは少量過ぎると煮るのが難しいので、その場合はむしろ高級な素材で代替されます。その場合に何が出てくるかは折々のお楽しみと捉えてください。

 

3●胡麻豆腐

 一般的な胡麻豆腐は炒りごまが使用されています。口に入れた瞬間に胡麻の香りが強烈に広がる工夫です。一方で三光院の胡麻豆腐は皮を剥いた生の胡麻を使用しています。喉元を過ぎた後に、ほのかに胡麻の風味がフワッと残る程度の香り、竹之御所流での理想はこのように伝えられています。

 胡麻豆腐は雲水の修行料理としても知られています。典座(料理担当の修行僧)にとっては、鉢に向かってひたすら胡麻を擦る作業が続きます。

 

 胡麻豆腐は豆腐に胡麻を混ぜ込むものではありません。名前こそ豆腐が付きますが、豆腐ではないのです。材料は胡麻、水、そして固めるものだけ。三光院の場合は葛が使われることが多いです。少ない材料で、誰にでも作れる。だけど完成したものは作る人によってまるで違う。料理人の腕が試されているのではありません。炒り胡麻と生胡麻の違い同様に、それぞれの味が楽しめれば良いのです。

 

 また三光院の特徴である一皿づつ出される提供方法も、胡麻豆腐の美味しさに更なる価値を与えてくれます。料理は作り立てが一番美味しいとの観点から、仕上げは提供直前になされます。したがってその日の天候や気温により、味付けを生醤油にするのか餡掛けにするのかが直前に決まるのです。

 

 

 

4●香栄とう富(燻製豆腐)

 竹之御所流精進料理の歴史は660年。その伝統の大半は京都の尼門跡寺院曇華院において、代々の尼さんたちの間で口伝の形で継承されてきました。

 それを三光院において初代住職である米田祖栄和尚が、一般向けにも提供するようになったのです。竹之御所流の中でも豆腐料理に絞った著作も出版されており、その中には三百種以上のお豆腐の料理方法が記載されています。しかし香栄豆腐を含めて現在三光院で提供されている人気豆腐料理の大半は記載されていません。

 それはこれらが新しく追加された料理だからです。古くからあるものを守るだけでは行事食になってしまいます。浄財をいただいて寺院を運営していくからには、お客様から継続的な支持をされていかなければならない。そこで竹之御所流の価値観や精神は崩さないまま、新しい献立料理も多く創作、追加されてきました。

 

 香栄豆腐誕生のキッカケは、欧米向けに英字で竹之御所流精進料理の著作が出版されたことによります。約半世紀前のことです。大変な評判を呼び米国に講演旅行に招かれた星野香栄禅尼が、ニューヨークタイムスの料理コラムニストのクレイグ・クレイボーン(Craig Claiborne)に出会い訊ねました。

「日本ではまだ料理は女性が担当するものとの風潮が強いですが、男性の貴方がどうして料理に興味を持ったのですか?」

 その答えが燻製だったのです。そういえば竹之御所流の中には燻製料理が一つもない。そう気づいた香栄禅尼が帰国後、最初に作った料理が豆腐の燻製でした。香栄禅尼は行動力がある方で直ちに境内に燻製小屋を設けたのですが、肉魚を燻製する大規模なものだったため効率が悪く、日常使いには適しませんでした。今ではその小屋は廃され、その代わりに台所に小さい燻製機器が設置されています。

 竹之御所流に燻製がなかった理由は、囲炉裏文化は庶民のもので、御所や尼門跡寺院には囲炉裏が存在せず馴染みがなかったからであろうと推測されています。

 ちなみにこの燻製豆腐も、提供直前に燻じています。燻製なので保存が効くと勘違いされる方も多いですが、三光院で唯一お土産にも対応しているこの香栄とう富の賞味期限は二日しかありません。実際には数日過ぎたところで食することは可能ですが、燻じる前に数日間漬け込んでもいるので、風味が刻々と変わってしまうのです。小金井が桜の名所なのもあり、燻す木種は桜が使用されています。

 

 新しい献立ですが古くからの伝承技術も当然使われます。その中でも竹之御所流には変わった豆腐の締め方が伝わっています。それが灰で豆腐を締める方法です。古くは灰が殺菌作用のある冷蔵庫代わりに使われていた時代もあったようです。

 十月堂には冬季に現役で活躍する暖炉がありますが、そこで出た木灰を利用します。豆腐を晒しで包み、それを木灰の中に埋めるのです。そうすると重石で締める時と異なり、豆腐の形状が保たれたまま水分が抜けるという利点が生まれます。

 

 

5●にゃくてん

 竹之御所流精進料理の特徴には、もどき料理がないことも挙げられます。雁の肉に似せて作ったがんもどきが一般的には有名ですが、肉や魚などの生臭料理を食べたいけど規律上は食べられない。だから植物性の代替食材で似た味を再現しようとしたのが擬き料理に原点になります。

 竹之御所流は天皇家より門跡として寺院に来られた皇女様が日々召し上がる料理として発展してきました。近代に入り尼門跡という呼称が広まりましたが、伝統的には比丘尼御所と称され、高貴な身分を有する女性が住持をつとめてきました。

 

 皇族だけでなく、公家なども含まれます。三光院で初代責任役員をされた飛鳥井慈孝尼公は華族出身で、曇華院の尼門跡でもあられました。最初は飛鳥井尼公を三光院に招きたかった西野奈良江開基ですが、尼門跡が東に下ることが出来るはずもなく、尼公はその代わり曇華院の次期門跡候補であった米田祖栄和尚を住職として三光院に行かせ、同時に飛鳥井尼公自身も役員には就任してくださったのです。

 

 古い時代においては、権力者が複数いる娘たちを政略結婚させる以外の方法として、生涯を仏に仕えさせることで自らの験担ぎにしたという歴史もあります。

 三光院初代住職の米田祖栄和尚は、三歳でお寺に入りました。文献により多少の前後はあるようですが、五歳から八歳のどこかで曇華院に移ったようです。そしてそれから生涯に渡って一切の生臭料理を食されずに過ごされました。

 

 これは戒律由来ばかりではなく、幼い頃からの習慣が一定を過ぎると、そもそもそうした食材を体が受け付けなくなるとのことです。一方で星野香栄禅尼は、三光院幼稚園の園長時代はまだ出家もしていなかったくらいですし、門跡たちを引き連れて鴨川に魚釣りに出かけたという伝説があるくらい豪快な方でした。

 そんな香栄禅尼がどうしても自分の好物を祖栄和尚さまに味わっていただきたいと想い、出来上がったのがにゃくてんなのです。だから三光院ではこの料理を別名「親孝行の料理」と呼んでいます。

 香栄禅尼が再現したかった料理とは、、、イカの天ぷらです。果たしてどうでしょうか?恐らく味としては別物かもしれません。祖栄和尚も食べたことがないイカの天ぷらとは比較のしようがなかったことでしょう。しかし確かに美味しいのです。美味しいものを大好きな人と共有したい、そんな香栄禅尼の気持ちも含めて、祖栄和尚はこの料理を竹之御所流の献立に付け加えることを許可されました。以来、竹之御所流にはなかった擬き料理の唯一の例外として、このにゃくてんが三光院で供されることになったのです。見た目も味も違いますから、果たして擬き料理と言えるかどうかは不明ですが、、、。

 

 

 

6●木枯らし(ナスのおでん)

 単品野菜が主役の料理で、ナスが選ばれる理由は実は色にあります。竹之御所流では快敷や飾り花の項目で説明したように視覚を楽しませる文化も尊重されます。木々の葉や青野菜を使用する快敷のことを、青カイシキと区別して呼称することがありますが、青野菜の緑色は正直代替が可能な別の野菜や野草が多くあります。

 三光院で味付けに添えられる木の芽味噌。これも青(緑)を楽しむものですが、利用される青葉は特定のものではありません。畑に出た時に収穫できるものや、他の料理の端材なども使われます。大葉や小松菜、時には三つ葉なども。

 一方で茄の瑠璃色は、他の野菜が持たない唯一の色とされているのです。現代では紫色の表皮を持つ野菜も多く輸入されるようになりました。例えばパプリカなどです。しかし熱を加えると黒くなってしまい、料理した上で紫色を綺麗に保てるのはお茄子が随一とされています。揚げたてで光沢を残した紫皮は、簡単に噛み切れます。どうぞご遠慮なくかぶりつくことをお勧めします。

 

 精進料理の定義に正解はありません。それぞれの方が、それぞれの考え方でなされるのが結構なことだと思います。三光院の場合は禅寺ですので、精進料理を単なる野菜料理とは考えません。禅には様々な種類があります。坐禅、立禅などは一般にもよく知られていますが、三光院では特別な時間ではなく、日常の中で禅に向き合う精神を大切にしています。作務禅、食禅と呼ばれるものです。

 星野香栄禅尼も当然禅僧でありました。新しい献立を付け加える時には、美味しさや、視覚的美的感性も当然考慮されますが、そこに禅的精神を盛り込むことが最も重要視されました。

 この茄子のおでんには「木枯らし」という季節が限定されたような名称が付けられています。この名称は琵琶の名器から採用されました。茄子を半分に切ったその形状が、香栄禅尼に琵琶を想起させたのです。琵琶法師が語る物語の代表的なものが平家物語。いわゆる栄枯盛衰の儚さを歌ったものです。三光院は三光国師に縁づくお寺でもあります(現在詳細調査中)。南北朝でいえば敗者側の国師(天皇に政の相談を受ける立場の高僧)だった方です。二口で食べれてしまう茄子料理から、諸行無常を感じる機会にもしていただきたい。食事と向き合う食禅は、作る側だけでなく食す側の立場でも可能なのです。

 

 視覚という点では木枯らしについたカイシキは茶葉になります。三光院の土地がまだ広かった頃、その多くは茶畑であり、栗畠であったようです。このカイシキも三光院で採取されたものです。最初の南天(カイシキ)の時に意味付けを説明させてもらいました。ではこの茄子に添えられた茶葉にはどんな意味があるのでしょうか?

 茄子と茶葉の組み合わせに落ち着くまでに、米田祖栄和尚は十年の歳月をかけました。様々な葉や花を茄子に添えて試したようです。長くフランス家庭料理の専門家として、またハーブの第一人者として活躍してこられた西井香春先生も、この茄子料理には茶葉しか考えられないとおっしゃいます。そして日本を代表するハーブ

が緑茶だとも。

 答えとしては、実はこのカイシキには意味がありません。天才の感性で選択された組み合わせという説明しか出来ないのです。理由ではなく、美的感覚。皿を含めた一つの作品として、味覚だけではなく視覚も楽しませる。これも竹之御所流では重要な伝統的な価値観なのです。 

 

 

●粟麩のおでん

 おでん、という料理名を聞いて誤解されたままになることも多いのですが、出汁を使った煮物のことではありません。木枯らしの時にも記載されていますが、三光院における「おでん」とは、一般的にいう「田楽」、すなわち味噌をつけて食す料理名のことを指します。そして田楽のにょうぼう言葉が「おでん」なのです。

 この説明でもまた誤解がよく発生してそのままになってしまいます。このにょうぼう言葉を、耳だけから認識して旦那女房の女房と捉える方が多いのです。尼寺だから女性言葉のことを女房詞と呼ぶのかな、と。

 三光院で使うにょうぼうとは、漢字で表現すると「女官ことば」となります。室町時代初期に宮中や院に仕える女性が使い始めたとされる言葉です。

 今では大半が死語となってしまっていますが、せめて料理で活用する言葉だけでも大事にしていきたいと、三光院ではあえて女官ことばを大切に使って残しているのです。

 

 古さという点では粟こそ最古の穀物と呼べます。粟の祖先野生種はいわゆる猫じゃらし(狗尾草)です。日本においては米よりも伝来は古く、縄文時代には既に栽培が始まっていたようです。淡い黄色が特徴的な穀物で、この生麩の黄色さは粟の色になります。三光院の料理で着色料が使われることはあり得ません。

 野生の草で猫と子供が遊ぶ風景も見かけなくなりましたが、粟の栽培は近年の雑穀人気により絶滅の心配は当面なさそうです。それでも食す機会が少ない穀物であることは変わりなく、初めて粟を口にされる方も大勢いらっしゃいます。

 優しい甘さの生麩に乗るのは木の芽味噌で、山椒も混ざります。山椒も境内で採れるものですが、栽培しているわけではありません。

 

 

●啜り茶 

 米田祖栄和尚は竹之御所流精進料理と一緒に、京都嵯峨野より賣茶竹延流の煎茶道も三光院に持ち込んでくれました。

 三光院では三茶を締めくくる特別茶として位置付けられています。三光院精進料理が初めての方は、是非この啜り茶まで体験していただきたい。

 

 茶道(抹茶)の世界では千利休の名を冠する各千家が流派として有名ですが、煎茶道の世界では売茶(賣茶)を冠する流派がそれに当たります。

 賣茶の冠は煎茶道中興の祖とされる売茶翁にちなみます。1700年代に活動した禅僧で、形式ばかりの当時の禅僧を否定して自らは還暦を過ぎてから実質的には還俗し、茶道具の売買で生計を立てるようになりました。

 

 これはキリスト教排除のために寺請制度(檀家制度)が取り入れられ、お布施という安定生活に固執するようになった僧侶たちに嫌悪したからだと伝わっています。同時に茶道(抹茶)も禅僧により形式化され過ぎたつまらないものと映ったため、より自由で禅的な煎茶道に傾注したとされます。

 

 81歳を過ぎてからは売茶業も廃業。同時に「私の死後、俗物の手に渡り辱められたら、お前たちは私を恨むだろう。だから火葬にしてやろう」と、愛用の茶道具を擬人化させた上で全て焼却。僧侶の資格立場は自ら捨てましたが、真の禅僧といって過言でない人物と言えるでしょう。

 

 煎茶道が一般的に勃興したのは江戸時代になってからなので、茶道と比較すると歴史は新しく、また流派名だけは残っていても実際には活動していない流派が多いのも現実です。賣茶竹延流では現在でも伏見桃山陵にて、明治天皇皇太后の昭憲皇太后の命日に合わせて行われる献茶を家元が取り仕切っておられます。

 

 行事以外で日常的に啜り茶が味わえるのは三光院くらいかもしれません。啜り茶で使用されるのは小さな茶碗です。玉露の茶葉がそのまま入っており、ぬるめのお湯でゆっくりとお茶の養分を抽出させます。二煎目以降を美味しく飲む方法もありますが、三光院のコースでは一煎目だけに集中していただきます。